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2005年1月31日 株式必勝法

株で一儲けしたい。

いや一儲けとは言わない。二儲けも三儲けもしたい。金くれ。

大抵の人は「株なんてわからないから手を出すのをやめておこう。どうせ損をするし」と思っているだろう。それじゃあだめだ。成さねば成らぬ、何事も。

ここでなんと自分は株で設ける必勝法を考えた。しかも二つも。金くれ。

まず一つの方法として、大株主になることだ。話として矛盾するかもしれないが、貴方がお金持ちなら株を沢山買うこともできるだろう。

一つの会社の株を大量に買い、ある一定のパーセンテージを越せば、貴方は株主総会にでることができるようになり会社経営に口を出せるのだ。つまり貴方はその会社にとっての重要なポストに座ることができるだろう。
貴方は会社の「これからの経営状況と秘密情報」という未公開情報を得ることができる立場に立てる。

これを得ることができたのなら、金儲けは簡単だ。
その未公開情報が会社にとって「有益である」ものなら株を新たに大量に買い、設けることは容易であるし、また得た情報が「不利益である」ものなら貴方はその不利益情報が株価に影響を与える前に持っているその会社の株を売ってしまえばいいのだ。情報が公表される前に売買を行えば、これで損害を免れることができる。

そして株で設ける必勝法の二つ目は、簡単至極、自分が勤めている会社の株を買えばいい。そして重要事項を担う役員になるのだ。

これは前述の方法と実はほぼ同じだ。役員には実力でなんとか登りつめてほしい。会社の内部情報を一手に担うような役員だ。相当の努力が必要だと思う。
しかしそれによって貴方は自社株の上昇下落を容易に知ることができるのだ。未公開情報を握れる。ここまでくれば金儲けなんて簡単だ。

どうだろうか。共に「自分の持っている会社株の内部情報を知ることができる立場に立つ」という方法だが、確実に株価の上昇下落を知ることができるので、儲けることは簡単だろう。

ぜひこれを実践して億万長者を目指してもらいたい。

最後にこのテキストを読んで「おお、俺もやってみよう」と思った貴方。
貴方に一言言わせてもらうことにする。
インサイダー取引規制というものが世間にはあるので、ぜひそこから勉強をしてもらいたい。

以上です。金くれ。



2005年1月30日 過去を振り返る重要性

何を書いたのかすぐに忘れる。

「昨日の更新分ってなにを書いたかなぁ」とよく思う。過去ログを読んでいけば、書いた記憶のないテキストすらあるかもしれない。

なので同じ事を書いているテキストが出てきてもそれは手抜きではなく、単純に昔書いたことを忘れているだけだ。勘弁してもらいたい。

しかも自分は「価値観」がかなり変わる人間なので、昨日言っていた主張と今日言う主張が違うことが多々ある。

もし同じ事柄に対して違う結論を導くようなテキストを自分が書いたとしても、それは自分の価値観が変わってしまったということなので、それもまた勘弁してもらいたい。

・・・ということなので、今後ネタに詰まったら、昔のテキストをコピーしてきて、少し文章を変え、結論を書き換えて、新しいテキストとして更新したりしようと思う。

今回のテキストはそのための布石であるので、そこのところよろしくお願いします。

いや、冗談です。見捨てないでください。一生懸命更新します(と言いつつ過去のテキストをコピーしてきて・・・どうせバレやしねぇだろう・・・)



2005年1月30日 浮き沈み死海物語

死海に行ってみたい。

イスラエルにある死海。
そこは塩分濃度が35%(通常約3%)もあるので、浮力が大きく、誰でもそこに入ればぷかぷか浮くことができる。空を見上げてぷかぷか浮きながら寝ると、くるんと一回転してしまうほどの浮力らしい。

実は塩分濃度が高すぎて、海水が目に入ったりすると大変なのだが、一度でいいから浮いてみたい。

そんなことを友人に話す。

自分「一度でいいから浮いてみたいよな」
相手『ふーん』
自分「気分いいだろうなぁ、浮いてるって」
相手『でもお前、結構世間から浮いてるじゃん』

どうやら、死海まで行かなくても浮いていたらしい。旅費まで浮いた。すごい浮力だ。



2005年1月30日 必ず効果が現れる健康法

世界最高の健康法を見つけた。しかもしっかりとした科学者達も証明済みだ。

その健康法を行えば、まず歯槽膿漏にかかりにくくなるし、骨粗しょう症にもなりにくくなる。また意欲も向上し、呼吸機能も健全になる。そんな様々な効果がある。

しかもなんとガンの発生率まで下げてくれるのだ。

「ええー。その効果はすごいけど、お金がかかるんじゃないの?」
そう思われる方がいるだろう。そう疑う気持ちもわかる。

しかしこの健康法にお金は一切かからない。

「ふーん。でもめんどうくさい健康法だと続かないなぁ。楽なのがいい」
はい、そうですとも、そうですとも。その点、私どもの開発いたしました健康法なら安心でございます。どんどんテレホンショッピングみたいになってきた。

なんとこの健康法、貴方はほとんど何もしなくてよいのです。ただ寝転がっていればいいし、音楽が好きなら音楽を聞きながらでもいい。本を読みながらでも構わない。 一人が寂しいなら友人を数人連れてきたって大丈夫。

しかも時間に縛られることもない。数時間に一度なにかをしなければならない、などそういう面倒なことも一切ない。

「すごい、そんな健康法なら今すぐやりたい。どうすればいいの?」

禁煙しましょう。



2005年1月29日 彼女の心を知りたい

卵を手に持ってうろうろする女性がいた。

スーパーに買い物に行き、切らしていたカップラーメンを買う。他に何か必要なものはあったかなと店内を歩いていると、目の前から手に十個入りの卵パックを握っている女性が歩いてきた。赤いフレームのメガネをかけた、自分と同じ位の年のその女性。

その女性は自分とすれ違い、どこかへ行く。
ふーん、卵が安いのか。買おうかな。
v なにか他に買うものはあるかなと、店内をうろうろしていると、また前からさっきの女性が来る。手には卵。カゴは持っていない。
「あ、またいた」と思い彼女を見ると、彼女は自分の視線に気付くことなく、お肉のコーナーを横目に見ながら歩いてくる。しかし何かを手に取る様子はない。ただ卵を持ち、肉を見ながら歩いている。
晩御飯のメニューでも考えているのだろう。

買うものも一通りそろえたのでレジに並び始めた。うーん、晩御飯時のためか結構混んでいる。前の人が何を買っているんだろうとか、レジの近くにおいてあるガムでも買おうかななどと取り止めもなく考えながらきょろきょろしていると、また彼女がいた。

彼女はお菓子のコーナーを見ている。ポテトチップスなんかを手に取り物色しつつ、また棚に戻している。手にはもちろん卵だけ。
晩御飯メニューはどうなったんだろうか。安売りの卵だけ買いに来たのだろうか。

レジを済ませ、袋に品物を詰め、帰ろうとして、ふと思いお菓子コーナーを振り返る。そこに彼女はいない。レジにも並んでいる様子はない。つまりまだ店内をうろうろしているのだ。

卵片手に店内をうろつく彼女。
久しぶりに他人の心を読んでみたいと本気で思った出来事だった。



2005年1月28日 君の瞳に乾杯

運命という言葉がキライだ。

運命の意味を辞書で調べてみたら
『超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ。天命によって定められた人の運』
と出てきた。(goo辞書参照)

つまり「自分の意思とは関係なく決まっている物事」ということだろうが、この言葉の反対語は「努力」だと自分では思っている。

例えば将来の夢があるとする。
夢とは、それに向かって勉強をして、努力をして、ついに叶えることができるものだ。

しかしここで「君が夢を叶えられたのは運命だったんだね」みたいなことを言う人がいる。

ふざけるな。運命なんて関係ないだろう。その人の努力の結果だ。

もちろん努力だけでどうにもならないこともあるかもしれない。時には運も必要かもしれない。しかし時の運によって夢が叶えられたとしてもそれは運命ではないと思う。その前の努力がなければ夢は叶わなかったのだ。

運命という結果論的な言葉はキライだ。この言葉にかかると全ての努力が無に還る。

今年の正月に地元に帰ったとき、中学の同級生だった女性に街で出会った。同窓会が予定されていたので「君は同窓会に出るの?」と聞くと「出る」と答えた。
そして同窓会の席で自分は彼女にこう囁く。

自分「君と僕が街で出会ったのは運命だったんじゃないかな」



2005年1月28日 ぬるま湯

お風呂がぬるいとテンションが下がる。

アパート暮らしでお風呂に追い炊きはついていない。なので一度温度管理を間違えてお湯を入れてしまうと、やたらと熱かったり、びっくりするほどぬるくなってしまう。

熱いときはまだいい。水を入れればいいだけだ。もしくは冷めるまで待てる。 しかしぬるいとどうしようもない。

熱いお湯を足そうにも、風呂一杯にぬるいお湯が入っていて、とても風呂全部が熱くなるとは思えない。方法としてはお湯を半分くらい抜いて、熱いお湯を入れなおすことだが、正直めんどくさい。

なので結局ぬるま湯につかってしまう。お風呂からあがると入る前より寒くなる。
最大級のへこみタイムだ。

「ああ、なぜ自分はこんなぬるま湯につかってしまったんだろう」と考えながら「自分の人生もぬるま湯だなぁ」と気がつく。

二重にへこんでみたところでなんにも解決しないので気にするのをやめる。レッツポジティブ。
そして改善されることもなく、自分のぬるま湯人生は続いていく。イッツネガティブ。



2005年1月27日 ジャパニーズジェントルマン

日本語訳の革命児、それが自分だ。

出先の洗面所で手を洗うと、大抵そこには手を拭くための紙や、ジェットタオルなんかが用意されている。しかしここでポケットからおもむろにハンカチを出す人がいるだろう。

か、かっこいい。紳士だ。
自分の中では「紳士=ハンカチ」という定義だ。

でもハンカチなんて所詮ただの布だろう。

つまりこの定義を応用すれば同じ布である「手ぬぐい」で手を拭いたとしてもそれはジェントルマンなのだ。

トイレで首に掛けていた手ぬぐいで手を拭くジェントルマン。
首に掛けた手ぬぐいはそのまま紳士でいうところのネクタイの役割までこなしていたりもするのだ。便利。

これからは「ジェントルマン=粋」と訳していこうと思う。

スーツ姿でネクタイをビシッと決めた男性を指しがちな紳士という言葉。それは間違いではない。しかし作業着を身にまとい、汗まみれになって手ぬぐいで拭いている男性だってそれは粋という名のジェントルマンなのだ。

ジャパニーズジェントルマンとして、職人さんの格好を公式に採用したらどうだろうか。 「当店は手ぬぐいを首に掛けていない方の来店はお断りさせていただいております」 とかなんとか店先で言われてしまう日もきてしまうかもしれない。



2005年1月27日 ダンディズムマン

一人傘をさす。

ぽつぽつと降っていた雨が止むと、皆「あ、晴れたな」と思って傘を閉じる。
しかし止んだことに気がつかず、一人傘をさし続けている人がたまにいるだろう。

周りが誰も傘をさしていないことに、その人は気付かない。イッツインマイワールド。でたらめな英語です。

自分は真っ先に傘を閉じてしまう。普段はボーっとしながら歩いていることも多いが、雨が降っているとなるとボーっとはならない。雨が嫌いすぎて「早く晴れろ早く晴れろ」と願い続けてしまう。

そして止んだら一気に傘を閉じる。もう俺は傘なんかに守ってもらわなくても生きていけるぜ、と虚勢を張れる瞬間だ。

そんな浮かれている自分をよそに、傘をさし続けているその人。
「雨なんてどうでもいいよ。晴れでも雨でも傘さえさしていれば濡れないんだから」とでも言いたそうなその態度。周りの人が傘をさしていようといまいと興味がないのだろうか。

く、くそー!大人の余裕を見せつけやがって。

くやしさとうらやましさが自分の中で芽生える。自分もそんな落ち着いたダンディズムを身につけたいので、これからはせかせかと傘を閉じるのはやめよう。一人傘をさしているような大人になるのだ。イッツダンディズムワールド。でたらめな英語です。

そんな発想の下での、晴れているのに傘をさしている自分の行為。
周りの熱い視線を感じる。皆、自分のダンディズムに酔いしれているのかもしれない。



2005年1月26日 試合に負けて勝負にも負ける

匂いがあまり好きではない。

カレーの匂いやラーメンの匂いなど、食べ物の匂い、食欲をそそるものはいい。大好きだ。
しかし香水がダメだ。

適度な量ならまだ耐えられる。「いい匂いだなぁ」と初めは思うし、時間が経ってもそれほど不快にはならない。
しかしやたらと香水をつけている人がいるだろう。もう良い匂いとか香りとかには程遠いほどの臭さの人。香水まみれと思われるような人が稀に。

そんな人が大学の講義で自分の横に座った。自分は机に突っ伏して寝ていたのだが、座った人が臭すぎて目が覚めてしまったほどだ。講義中に寝ている自分の行動は今、問題ではない。

「なんだよもう」と思いつつ隣を見る。そこにはホストのような格好の男。コートを脱ぐとまた匂いがしてくる。
ぷーん。くせぇ。

そんなことを思ったのだが、眠かったのでまた寝なおした。始めは臭い臭いと思いつつ机に突っ伏していたが、いつの間にか眠ってしまった。ちなみに今、自分の行動についての是非は問わない。

そして講義終了間際に目が覚める。匂いのおかげで目覚めは悪い。ああ、早くこの教室から出たいなぁと思いつつ、隣の男のノートを見るとびっしり。
講義中で使用されているパワーポイントを写し、重要と思われるところには色を引いて、講義の話までメモしてあるようだ。

講義終了の合図と共にいそいそと教室を出る自分。外はとても良い空気だったが、思い切り深呼吸をする気分にはなぜかなれなかった。



2005年1月26日 生活構成物質

他人の聞く音楽プレイヤーが気になる。

電車で自分の正面に座っている高校生くらいの女性。耳にはイヤホン。おそらくMP3プレイヤーかなにかで聞いているのだろう。何を聞いているのかとても気になる。

最新チャートの上位曲か、平井堅あたりかもしれない。まさか自分と同じようにラウドロック趣味かな。ジャズやクラシックという可能性もある。


そして落語という大穴も存在するだろう。

自分の正面座席ですました顔で落語を聞く若い女性。
ピクリとも笑わずに目的地に着くまでひたすら落語を聞く若い女性。もしかしたら夢が落語家で、落語の構成や話し方なんかを勉強しているのかもしれない。

そんな熱い視線を自分が送っていると、彼女が携帯電話を取り出してなにやらカチカチ始めた。ま、まさか聞いている落語で気がついたことをメモしているのか!
「あら、これは勉強になるわ。メモしなくちゃ」とか思ったのかもしれない。

勝手な妄想を繰り広げていたら電車が自分の目的地に到着した。座席から腰を上げて降りる。彼女はそのまま電車に乗ってどこかへ行ってしまった。

ホームに降り立つと自分の目の前にイヤホンを付けているスーツ姿の男性が。 なにを聞いているんだろう。まさか綾小路きみまろか!

自分の毎日はそんな勝手な妄想により構成されています。いい迷惑です。



2005年1月25日 シャネル5番とポップコーンスパ268番

世界で一番売れている香水はシャネルの5番というものらしい。

聞き話なので真偽はわからないがそうらしい。
それにしても5番というネーミングはインパクトがある。いったいなんなのだろう。

調べてみると、この香の香水試作品の番号が5番だったらしい。製品として完成して、ネーミングはそのまま5番。これは思いつかない。

ということでこのテキストのタイトルは、このブログの何番目の更新テキストかということをいちいち数えてつけてみた。数えている最中「なんで俺こんなことに時間を費やしているんだろうか」と何度自問自答したことか。

このシャネル5番にはマリリンモンローの逸話があるらしく、調べてみるとサイトが出てきた。
ある記者がマリリンに「何を着て(wear)毎晩寝ていますか?」という問いに対して「シャネル5番よ」と答えたとある。wearは身に着けるという意味なので香水もwearらしい。

こんな受け答えをサラリと言えるなんてとても憧れる。

記者「あなたは普段、何を身につけて生活していますか?」
自分『負のオーラです』

なにかを間違えているくさい。



2005年1月25日 シャネルとテキストの説明

めざせシャネルだ。

人気ブランドのCHANEL(シャネル)。その創始者であるガブリエル・ボヌール・シャネルは世界のファッションを変えた人として有名だ。

それまでの常識であったコルセットを用いた無理矢理のボディーラインの美しさ。
そのコルセットを取り払うような先鋭的なデザイン。実用性。世界のファッションはコルセットをもはや必要としなくなる。

とてもすごい。自分も現代の常識を覆すようなそんなテキストを書きたい。

でもどうしたらいいのかわからない。・・・常識を覆すテキスト。・・・コルセットを外す。 やはり文章のコルセットといえば「起承転結」だろう。

はじめに状況説明。それを発展させた説明。そして話をひきつけるような展開。そして結論。
そんな文章のコルセットとでも呼ぶべきセオリーは存在している。これを無視して文章を書こう。

例として「ももたろう」を起承転結無しで書いてみる。

「ももたろう」
桃から生まれる生物、ももたろうはおばあさんの拾ってきた桃から生まれました。時間が経つにつれ成長しました。彼は将来、村の皆を困らす鬼を退治する人間になります。そのとき犬と一緒に冒険するのですが、その犬はおばあさんの作ってくれたきび団子で仲間にするのです。鬼達はおばあさんたちからお金なんかを奪うような悪党です。そんな彼らをももたろうは数年後に倒してしまうのですからすごいですね。おしまい。

どうだろうか。いきなりオチも何もかもわかっているももたろう。

結果は全然おもしろくない。

自分はシャネルのように世界を変えることはできそうもないようだ。いつか誰かが起承転結というコルセットからの解放を成し得たとき、ポップスパという夢破れた男がいたことを思い出してもらいたい。

ちなみに今回のテキストの説明をすると
起:シャネルの話
承:コルセットを文章で例える
転:ももたろう
結:夢破れる男(ここで笑ってもらいたい)
となります。以上です。



2005年1月24日 ギャンブル金の卵

適度に漢字が入っていないと読みづらい。

日本語を勉強している外国の人にとって漢字は大変だろうが、小さい頃から漢字に触れて慣れている日本人には漢字はなくてはならないものだ。

「じぶんのいえにはでんしレンジがないのでけっこうみんなからめずらしがられる」
漢字を使わないで書いた文章はこんなに読みづらい。ちなみに文章は事実です。

しかしだからといって漢字を多く使えば良いというものでもない。
薔薇(バラ)はまだしも鋏(はさみ)や五月蠅い(うるさい)などの普段はあまり使用しない漢字を使ってしまうと、その文章の内容、構成にもよるが、おそらく読みづらくなってしまう。この漢字はなんて読むんだろうと考えてしまって、文章の内容が頭に入ってこなくなる。

まさに「適度」に漢字を入れなくてはいけないのだ。難しい。

自分は結構この漢字とひらがなの読みやすさ加減には苦心していて、ここは漢字でなくひらがなやカタカナの方がいいかな、とか考えている。そっちには力を入れているのに内容はくだらないということには今は触れない。

パソコンが普及している。
自分の手で漢字を書く機会は減り、コンピューターが勝手に変換してくれる漢字を自分で選んでいく作業さえできれば問題ない。今の世の中漢字が書けることよりも読めることの方が重要になってきている。

しかしコンピューターはなんでもかんでも漢字にしがちだ。そうなるとさっきのような常用外の漢字が出てきてしまい、文章が読みづらくなったりしてしまう。
結局最後は人の手で調整するしかない。考えて考えて読みやすくするのだ。

と、なぜいきなりこんな漢字のことについて書き始めたか、という理由を書くのを忘れていた。
ちょっと手でメモをとる機会があったのだが、そのとき「銀」という漢字が書けなかった。ぎん・・・ぎん・・・左側が金ってことはわかるけど、ええと右側は・・・。

これこそコンピューター社会の弊害だと思うわけです。なんでも機械が考えてしまい、人間の思考力が落ちているのです。
はい、自分根性腐ってます。

ちなみに自分は大学3年です。就職活動です。未来有望なこの僕を誰か雇ってください。



2005年1月24日 喫煙による健康被害と意欲の低下

自分は喫煙者だが、タバコは体に悪い。
(注:今回のテキストはサイト「たばこと健康」よりの情報を元に引用、また関節引用を行い書いております)

喫煙による急性的な影響としては
呼吸器系:咳・痰などの呼吸器症状、呼吸機能障害(息切れなど)
循環器系:血圧上昇、心拍数増加、末梢血管収縮・循環障害(手足・足先のしびれ感・冷感、肩こり、首のこり、まぶたの腫れなどの症状)
消化器系:食欲低下、口臭、その他の消化器症状
中枢神経・感覚器系:知的活動能低下、睡眠(就眠)障害
全身症状:健康水準の低下、体重減少
などがある。

これだけでも気分が悪くなってくるのだが、タバコはがんも引き起こす。サイトを覗いてみるとこれだけの影響があるらしい。

他にも慢性的な影響として慢性気管支炎、肺気腫などの慢性閉塞性肺疾患の危険が増大し、肺機能検査により閉塞性障害の頻度が高くなったりもするらしい。
まだまだあるが割愛する。詳しくは上のリンク先で読んでもらいたい。

そして特に問題とされる受動喫煙。受動喫煙とは、自分自身ではタバコは吸わないが他人の吸っているタバコの煙を吸ってしまうことだ。これによっても健康被害は起こる。

急性的な影響は
眼症状:かゆみ、痛み、涙、瞬目
鼻症状:くしゃみ、鼻閉、かゆみ、鼻汁
その他:頭痛、咳、喘鳴、呼吸抑制、指先の血管収縮、心拍増加、皮膚温低下

もちろんがんの危険も高くなるし、循環器疾患、そして妊婦への影響や、新生児への影響など、まさに踏んだり蹴ったり。

WHO推計値の死亡数グラフでは年間200万人がタバコの影響で死んでいるらしい。

・・・・・・本当はここから自分の喫煙状況と「なんで俺こんなものにお金を払っているんだろうねアハハ」ということを笑いを交えて書いていこうと思ったのだが、健康被害をまとめただけで気分が悪く、更新する気がなくなってきた。

吸っていたタバコをもみ消しながら、今回の更新はここで終わりとさせていただきます。



2005年1月23日 彼に心を奪われたあの夏

自動車学校の思い出イコール彼の必殺技だ。

自動車免許を取ったのはもう一年以上前の大学二年の夏なのだが、それ以降数回しか運転していない。コンビ二に雑誌を買いに行ったり、CDを買いに行った、それだけだ。おそらく累計運転時間なんて30分に満たないと思う。

でも自分もう初心者マーク外せます。

しかもMT免許を取ったのに、運転したのは毎回ATなのでMT車の運転なんて絶対できない。「半クラってなに?」くらいの勢いだ。
でも自分もう初心者ドライバーではありません。こんなドライバーも稀にいますので、運転の際の周りの車には、また歩行者の方はご注意ください。

とまあ、せっかく取った免許は全然活かせていないわけなのだが、それでも免許取得には結構いろいろな思い出がある。そこで知り合えた友人も数人いる。

その中でも特におもしろい思い出が、ある男との出会いだった。彼とはたまたま待合室の隣同士になったので話かけ、雑談をしていたのだが、しかしお互いの近況を話していくうちに彼が自分の高校の後輩であることがわかった。彼は当時高校三年だった。

男「へぇ、高校は俺と一緒なんだ。まぁ俺は大学行かないけどね。」

そのうちに彼が陸上部に所属していたと言うので自分は少し驚いた。自分が陸上部だったというわけではないのだが、陸上部には自分の友人が多くいたのだ。その中に中野という男がいて、彼は地区予選だか県大会だったかで結構良い成績を残していて、部内では有名だった。

その中野と自分は昔からの幼馴染であり、そのことを彼に告げたら、目をキラキラさせ始め、今までの「なんだこの野郎。大学二年にもなってやっと免許取りやがるのかよ」と言わんばかりのオーラが消えた。
憧れの先輩の友人というポジションに自分が座ったためか、今まで散々タメ口だったのが、ですます口調に変わる。

男「な、中野先輩の友達なんですか!マジですか。」

あなたのその露骨な態度変更が素敵です。

彼はおもしろかったが、惜しいことに免許を取得してからは一度も会っていない。今なにをしているのか。就職すると言っていたがちゃんと働いているのだろうか。

もしあなたの職場に、身長175センチ前後、筋肉質の体で、タメ口、そして「中野の友達」と言ったとたんにですます口調に変わる男がいたら、そいつです。
すぐさま必殺掌返しが炸裂します。彼の必殺がもう一度見たいと切実に願う。



2005年1月22日 ゴッホ美人

美人と言えば誰だろうか。

自分の好み爆発で言うのなら江角マキコさんとか仲間由紀恵さんとかなのだが、賛成してくれる人もいれば反対する人もいるだろう。美人の基準は人によって違う。

それでも現代の美人感とはだいたい、細身で、パッチリした目、キリッとした眉とかそういう感じだ。

昔は違う。
浮世絵などの美人画を想像してもらいたい。そこに描かれているのはふっくらとした、おちょぼ口、眉が太く、かぎ鼻といったぐあい。

現代の美人像とは程遠い。

つまり美しさの「基準」は時代によって違うということだ。これは流行というものにも顕著に現れている。流行は周り、良いものと悪いものが入れ替わり続けるだろう。

そう、現代では「ダメだ」と思われているものだって、時間が経てば評価は変わってくるのだ。生きている間に一枚しか絵が売れなかったというゴッホからもそれは正しいことだと思う。当時は誰も彼の才能を理解できなかったのだ。

なのでここポップコーンスパのテキストは「くだらねぇな」「おもしろくねぇな」「ダメだな」という評価が蔓延している現在。しかし今に見ていろ。ゴッホのごとく、美人感の変革のごとく、ここのブログの評価は上がっていくのだ。フフン、今は馬鹿にしているがいいさ。

人間の価値観は変わるものだ。

いや結論を急がず、ここで少し考える。
ゴッホの絵は当時の人間にはわからなかった。そしてその当時にも売れない画家なんてゴッホ以外に何人もいただろう。しかしゴッホ以外の彼らの絵は今でも全然評価されない。
つまりいつまでたっても「評価する価値のないもの」は存在するのかもしれない。

あれ?ここのテキストいつまでたってもダメ?



2005年1月21日 モーニング娘。の顔は皆一緒

愛内理奈と大塚愛の区別がつかない。

あまりテレビを見ないので、たまに見ても顔の区別がつかない。彼女達のCDも持っておらず音楽の違いも良くわからないし、声もよく知らない。

友人に「お前完全におっさんだな」と言われたが、くそう否定できない。

しかしどうやら自分の兄も区別がつかないらしい。

兄『愛内と大塚愛の区別?つくわけないだろ。浜崎あゆみとBoAも何が違うのかわからん』

上には上がいる。自分は浜崎とBoAの顔なら区別がつく。やった。

最近友人の車に乗っていて、友人が音楽を掛け始めた。CD-Rで自分のベスト版を作ったようだ。浜崎あゆみが何曲か続けて流れている。

自分「お前浜崎好きなんだな」
友人『は?コレ愛内理奈だよ。浜崎なんて一曲も流してないだろ。さっきのはBoAだし』

完敗した。何が違うのかわからん。



2005年1月20日 名も知らぬあの人達

名前なんてどうでもいい。

これは常日頃自分が思っていることであって、下の名前がどうでもいい。興味がない。相手の名前や自分の名前が「太郎」だろうが「花子」だろうが、なにも変わることはない。
もちろんあまりに奇抜な名前は勘弁してもらいたいとは思う。

そんななので新しく知り合った人に対して、一切名前を聞かない自分。自己紹介をしてくれたとしても聞いていない。一瞬の後には忘却の彼方だ。少しかっこよく言ってみた。

それでも昔は名字にこだわっていた。自分が珍しい名字なので、平凡なものに憧れていたのだ。今ではもうどうでもいい。もう名前全般興味なし。

同窓会に出たって、名前を全然覚えてない。お前とか君とか連発。なので携帯番号を聞かれるととても困る。教えるのはいいが、こちらがどう登録していいやらわからない。周りの人にそれとなく聞くか、最悪「髪の長い同級生」とか「背の高い同級生」とかだ。とても本人には見せられない。
大学にも名前の知らない友人が数人いたりもする。

自分がこんななので「名字が変わるという事」を読んで、皆意外と名前に対していろいろ感じているんだなぁと思った。
ふんふん、結婚で名字が変わる。そういえばそうだ。

もう思い切って「結婚した二人で新しい名字を決める」とかはどうだろうか。
鈴木太郎さんと山田花子さんが結婚して、名字を武者小路とかにするのだ。すげぇ、これなら自分も名前に興味がもてる。きっと真剣に考えるだろう。

そして考えた末にでる結論はおそらく奥さんの名字。
「せっかく結婚で名字が変えられるんだし、よし何か考えてみよう」と意気込んではみるだろうが、どんどんどうでもよくなってきて、でもせっかくなんで名字は変えたくて、奥さんはもしかして名字が変わるのイヤかもしれないから、なら君の名字にしようか。 きっとこんなプロセス。

容易に想像できる自分の仮定の姿。

ちなみに暴露してみますが
自分、叔父さん叔母さんの名前を一人も知りません。
従兄弟も一人しかわかりません。
四人いる祖父母も一人しかわかりません。
姉の名前を漢字で書けるようになったのはつい最近です。

こんななので同級生の名前を知らないくらい許してください。



2005年1月19日 将来の夢はモーニング娘。とか言う世代

自分は小学生が好きだ。

自分は大学生も終盤にさしかかり就職活動がどうたらと言う年齢になってしまっている。しかし小学生の彼ら彼女らはまだまだ人生これからなのだ。

将来の夢を聞かれれば彼らは野球選手だとか女優だとか答えるのだろう。その点もう自分達の年齢ではだめだ。将来の夢はどこの会社に入社したいとか答えてしまう。
夢も希望も見ていない。見ているものは給料と休日の多寡だけだ。

小学生を見て感じてしまう憧れ。いいなぁ、小学生。小さくて。
ランドセルを担いで友達同士数人ではしゃぐ小学生。いいなぁ、小学生。

・・・ここまで書いて、なにか誤解を受けそうな内容であることに気付く。一行目から小学生が好きとか言っている。

違いますよ!自分そういう趣味じゃないですよ!
今回のテキストは小学生はまだまだ脳の発達も途中で感性を磨くことも容易だし、技術の進歩も速くていいなぁという意味ですよ。
決して自分は小学生の女の子に対して憧れを抱いてしまうという意味じゃあないですよ。いや憧れは抱きますけど、そういう意味の憧れじゃなくて・・・。

第一自分は小学生の男の子にだって憧れますよ。むしろ男の子の方が好きですよ。いやだからそういう意味の好きじゃなくて・・・憧れであって・・・。なんだか余計悪い方向に・・・。

泥沼化が進んできたので結論だけ書いて終わることにします。
自分は小学生が好きな男です。もうそれだけです。



2005年1月18日 僕らは何かを犠牲にして生きていく

会話中に突然黙り込みがちな自分。

大人数でワイワイやっているときはいい。「なにお前黙ってるんだよ」となるだけなのだが、これが困るのは二人で話しているときだ。

なにか会話をしているとする。自分と相手の二人だ。
相手が何かを言う。自分が返事を返す。また相手が何かを言う。自分がまた返事を返す。

しかしこの会話の中で相手が「自分の知らない単語」や「おもしろいこと」を言ったとすると会話が止まる。自分が黙り込んで止めてしまう。

「自分の知らない単語」に対して、それはどういう意味だろうか、と考え込んでしまう。さらっと受け流すか、相手に単語の意味を聞けば会話は続くのだが、どうも一人で考えてしまう癖がある。
またなにか相手が「おもしろいこと」を言ったとすると、自分は笑いながら「それパクろうかな」とか「今のおもしろいコメントは話の流れの勢いでおもしろいのであって、それ単体ではたいしておもしろくないよなぁ」とか余計なお世話なことまで考えてしまいがちなのだ。

そんなことを考えて黙り込む自分。空気の流れが止まりかける。ハッとなって空気を直そうと頑張る自分。会話相手の人ごめんなさい。

きっとこんなどうでもいい考え事ばかりしているから、ここみたいなくだらないブログが生まれてしまったんだと思う。

そんな会話相手との空気を犠牲にして育まれていく、ここポップコーンスパ。
どんな小さなものやくだらないものにも犠牲が伴ういい例だと思う。



2005年1月17日 カルシウム吸収率の違い

カルシウムが大切なのはわかるができないことはできない。

歯が丈夫になったり、骨が丈夫になったりと、カルシウムが健康を維持する上で大切なことはわかる。なので大学の食堂のテーブルに「カルシウムを取ろう」と書いた紙が立ててあることはいい。理解できる。

しかしその紙にはやたら大きく
「大人はカルシウムの吸収率が低く30%程度です。子供が一番多く80%近くもあるのです」
と書いてあるのだ。

もう紙の半分くらいそれ。やたらでかいサイズの文字で、赤や黄色を駆使して、子供のカルシウムの吸収率のよさが綴られている。
「牛乳やひじきはカルシウムが多いです」ということは隅っこに小さく書いてあるだけ。

なんなんだろうかこの紙は。大学生に対してそこまで子供の吸収率の良さをアピールしてどうしたいのだろうか。まさかカルシウム摂取のために子供に戻れとでも言う気か。

牛乳を飲むたびに思い出すこの警告文。
「ああ、今俺牛乳200ml分のカルシウムを摂取したけど、子供だったらこれが80mlでいいんだよなぁ」と、なぜか寂しい気持ちになる。



2005年1月16日 ムチあつかい

手に汗握る、という言葉が納得できない。

手に汗握るとは、握りこぶしに汗をかいてしまうくらい緊張しているような様を言う言葉だが、ちょっとおかしいんじゃないかと思うのだ。

例えば手にコップを握る、とか、手にお金を握る、などは手が意図的に握る状態を表しているだろう。しかし手に汗握るは、手がわざわざ汗を握るわけじゃない。汗が手に握られるために出てきているのだ。

正しく言うなら「手が汗を握ってしまう」だろう。

「うわ!手が汗を握っちゃったよ」
そんな使い方。意図せず汗を握ってしまったことを強調し、心とは裏腹加減がよく表されているし、俺すげぇ緊張してるよ、という雰囲気も出ている。

これからはこっちを使うことにする。

友人「このサッカーの試合すげぇよな」
自分『うん。手が汗を握ってしまうよね』
友人「それを言うなら手に汗握るだろ。そんなことわざも知らないのかよ。小学生でもわかるぞ。お前って意外と無知だなぁ」

まさかこんなに馬鹿にされるだなんて!
手に汗握る瞬間だった。



2005年1月15日 クロネコと私と幸せと謝罪と部屋とYシャツと私

黒猫を飼っている人は、とても不幸な人だと思う。

「黒猫に横切られる」と縁起が悪いという言葉がある。しかし黒猫を飼っている人はもう横切られまくりなわけだ。しかもすり寄って来られたり、黒猫を抱いてしまったりしたりするわけだ。

縁起悪すぎ。イコールとても不幸な人なのだ。

例えば飼っている黒猫の名前がクロとかだとする。飼い主はあなただ。

貴女「ただいま。今日も仕事つかれたなぁ。お風呂に入って、ビールでも飲んで寝ることにしよう。だいたい今日の仕事のミスは私じゃなくて、課長のせいじゃない。あーあ。もうやめようかなぁ、今の仕事。私には向いていない」

『ニャーオ』

貴女「あ、クロ。おいで。暖かいねアンタ。いいな、私もアンタみたいに一日中家でごろごろしていようかな。アンタ私の代わりに仕事行ってよ」

『ニャーオ』

貴女「冗談。なに言ってるんだろ私。アンタのご飯代稼がなくちゃならないのにさ。・・・がんばろうかな、また明日から。それじゃあお風呂入ってくるね」

 幸せだとか、不幸だとかなんて他人が決めるものじゃない。
 自分のことで精一杯で、まわりには気を配っていられないときもあるけれど、それでも自分の手が届く範囲くらいには、必死に気を配っていたい。
 日常から脱却してしまいたいと考えることだってある。しかしもし本当に日常から逃れてしまったとしたら、それは本当に幸せなのだろうか?幸福が待っていてくれるのだろうか?日常生活を送る私の目の前に、実は幸せはあるんじゃあないのか。私はただそれに気付いていないだけなのではないか。
 しかしあるのかどうかわからない非日常への憧れを抱き続け、生きていく。それこそが不幸なのかもしれない。真実は「幸せに気付いていない」だけであるのに。幸せは目の前にあるのに。
 クロは私にそのことを教えてくれる。日常の中に幸せは隠れているのだと教えてくれる。クロを見ているとそう、私は感じてしまう。ただクロをなでているだけで、私は少しの幸せをもらえているんだ。

「ここからどう笑いに持っていけばいいんだろう・・・」
そう考え考え、結局笑いがないテキストになってしまった。・・・やばい。

え、ええと、ほら・・・く・・・クロネコは苦労ね・・・こ・・・こ・・・ごめんなさい。



2005年1月14日 禁煙が及ぼす害

分煙機でタバコを吸う5人に4人がマイルドセブンを吸っていた。

分煙機とは、テーブルみたいなヤツの真ん中辺にタバコの煙を吸ってくれる機械がついたもので、オフィスなんかにあるアレだ。

自分の通う大学にこれが置いてあるのだが、そこでタバコを吸っていたら四人組の男が現れた。そしておもむろに皆タバコをポケットから取り出しテーブル部に置いたのだが、それが皆マイルドセブン。しかも箱の色から察するに全員8ミリのやつ。

自分はマルボロ。なんだこの状況。

自分もタバコをテーブル部に置いていたので明らかに目立つ自分のマルボロ。
携帯電話をいじくりながらタバコを吸っていたら、四人がタバコの話をし始めた。

マイルドセブン男1「俺昔マルボロ吸ってたな」
マイルドセブン男2「高校生とかってマイルドセブン好きだよな」
マイルドセブン男3「じゃあ俺たちはなんなんだよ(笑)」
マイルドセブン男4「結局マイセンで落ち着いたな」

なんとなく感じる疎外感。
ああ、マルボロでごめんなさい。フェラーリのスポンサーでごめんなさい。

マイルドセブン男1「でもマルボロって高いよな」
(注:マルボロ300円。マイルドセブンは270円)

ちょっと感じてしまう優越感。

ここで「たった30円だろ」と思う貴方。そう貴方。甘い。
30円だって10箱買えば一箱分違ってくるし、一日一箱吸えば一ヶ月で三箱も違うのだ。そんな中でマルボロを吸う自分は、マイルドセブンの彼らにとっては憧れの的なのだ。フフン、僕を尊敬したらいいと思うよ。

友人「別に俺タバコ吸わねぇからそんなのどうでもいいよ。たった30円だろ。大体金払ってまでガンになりたいなんておめでたいよな」

世の禁煙ブームは「人の心の暖かさ」という灯火までもを消してしまった・・・。



2005年1月13日 コタツ星人

友人に一年半布団を敷いていない人がいる。

大学の友人であり彼は一人暮らしなのだが、夏は床でそのまま寝る。冬はコタツで寝るらしい。イッツワイルド。とても素敵だ。

自分もならって二日間ほどコタツで寝てみた。もうイヤだ。

まず疲れが取れない。しかしこれは自分の慣れの問題であると思う。

一番の問題はコタツで眠ったことのある人ならわかるだろうが、暑い。
暑い暑いと思ってコタツを切ると今度は寒い。数十分後に目が覚める。どうしろと言うのだ。

その友人はコタツを弱にしてつけっ放しで眠るというが、それでも暑くなる自分のコタツ。

友人「俺ソファーが欲しいんだよね。それにドンと座ってテレビ見たいし、夏でも冬でもそれで眠れるし」

もしソファーを買ったらコタツをなくして、コタツ布団を掛けて眠るらしい。

「それならベッドを買えよ」
そう言うのは簡単だが、彼の中のなにかを壊してしまいそうでなかなか言えず、もんもんと過ごし続ける自分。



2005年1月12日 意外と重いぞフラフープ /b>

フラフープがすごいと思う。

フラフープといえば昭和30年代のブームにやったなぁ、と言う人もいるかもしれない。ちなみに自分はそのときマイナス25歳くらいです。

プラスチックでできたワッカであるそれ。
輪をくぐり、腰近辺にあてがって、腰をくねくねさせ、くるくる回して、どれくらいの時間落とさずに回していられるか、という有って無きに等しい目的のための物体だ。

くるくる回す。
あっ、落ちちゃった。へへへ、もう一回。

くねくねくるくる・・・くねくねくるくる・・・あっ落ちた。もう一回。
くねくねくるくる・・・くねくねくるくる・・・あっ落ちた。くそぅ。

テキストにしても漂ってくるシュールさ。
昭和の大ブームの時には大人も子供もやったらしい。プラスチックのワッカを皆一心不乱に回し続ける。

シュールすぎる光景だ。

しかし最近はダイエット的なアプローチで、またフラフープが復活してきているらしい。 おお、それはすごい。ただ回すだけから卒業して、消費性が追加されている。

やっていることはまったく一緒なのに、そこにはもう漂わないシュール感。ダイエットのためなのだと思えば全然非日常性はない。

「なにをやっても私はダメだわ」
そんな風に考えてしまう人はいる。
しかし、ほんのささいな気の持ちようで、人はプラスにもマイナスにも心を動かしてしまうものなのかもしれない。フラフープがそれを証明してくれた。

なんだかフラフープがすごいもののように思えてくる。まさかそんな重い人生哲学までもを教えてくれるなんて。
心のどこかでバカにしていたフラフープには、素直に謝ろうと思う。



2005年1月11日 知らない方が良いこともあるということ

全然自分の人生に関わってこない才能はあっても仕方がない。

地球上にいる約60億の人間。
一人には絶対に一つくらい才能があると思う。もちろん自分にもあるし、これを読んでいる貴方にもあると思う。

でも例えば自分に「コーヒー豆栽培」の才能があったとしても、絶対に一生気付かない。気付かない才能なんてないのと同じだ。しかもただでさえ才能には「早咲き」と「遅咲き」があるのだ。「コーヒー豆栽培の才能遅咲き」が自分に備わっていた日にはどうしていいかわからない。

もちろん自分には二つ才能があるかもしれない。三つや四つくらいあったって全然おかしくないだろう。

結局、才能があるかないかという問題よりも、「どんな才能があるのかに気付く」ことが重要なんだと思う。
今の成長著しい遺伝子工学とかでわからないんだろうか。DNAとか調べてどんな才能があるのかどうか調べてもらうのだ。

「紙ヒコーキ作り」「ダジャレ」「フラフープ」

「これら三つの才能が貴方にはありますよ」とか笑顔で言われてしまったらどうだろうか?
きっとうすら笑いを浮かべ、曖昧に返事をするくらいしか自分にできることはない。



2005年1月10日 同窓会と就職活動

同窓会に出たら昔の同級生から「お前は人生をなめてる」と言われた。

自分は今、大学3年であり、まもなく4年となる。
地元に帰った折に行われた同窓会に出た。そこにいる同級生といっても自分と同じく大学生の人もいれば、フリーターもいれば、就職して結婚している人だっている。

そんなメンツの同窓会の飲み会。就職活動の話になり、自分が「これからやろうと思っている」と発言したら即座に隣に座る同級生に「遅い」と突っ込まれた。

それは事実かもしれない。これはいい。しかし続けて
「お前は就職する気がないのか?だいたい雇用数の少なさと採用基準の厳しさはお前も知っているだろ。就職するんならもっとやる気出して早くやれよ。お前人生なめてるのか」

く・・・正論だ。間違っていない。
しかしそんな説教をする彼は現在失業中。彼は高校を卒業してすぐ就職したのだが、やめたらしい。理由は休みが少ないから。

「就職はやる気を出せ」と言う仕事を辞めた彼。
「人生なめてるのか」と言う休みが少ないから仕事を辞めた彼。

彼の説教がとても楽しい思い出として残った同窓会だった。



2005年1月9日 美しい女性に心奪われて

数秒間目が合った女性に心を奪われてしまった。

電車が駅に止まる。自分は手持ち無沙汰で窓の外を眺めていた。
停車した駅のホームに座っている、十代後半くらいのショートの茶髪の女性。

彼女と自分の目が合う。その刹那電車がホームを離れ始める。数秒間自分と彼女の目は合い続け、電車の窓枠にさえぎられたかと思うと、視界から彼女の姿は消えた。

その後もずっと彼女のことが気になる。
彼女は駅で電車を待ち、どこへ行こうとしていたのか。一人だろうか、友達や恋人連れだったのだろうか。彼女はいったい何をしている人なのか。

ほんの数秒間の間に彼女に心を奪われてしまった。自分の心鷲掴みだ。
ああ、ドキドキする。彼女のこれからの行動を考えると、心が落ち着かない。

これが一目惚れなんだろうか。だとしたら始めての経験だ。

でも多分きっと、こんなに自分が彼女のことを考えてしまうのは
彼女が「I am beautiful(私は美人よ)」とプリントされたパーカーを着ていたからなのだと思う。

まさかこの英語がわからないわけはないだろう。すげぇ自信。



2005年1月8日 命がけの恋愛体験

実家に帰ったら十万円くらいするマウンテンバイクがあった。

兄が友人からもらったとか買ったとか言っていたが、自分は今までそんな高級自転車にはのったことがないので乗ってみた。

とても楽しい。
山でジャンプとかする用のやつなので、とても速く進める、というものではないのだが、キコキコこいでいるのが楽しい。今までマウンテンバイクに憧れたことはないが、いいなぁと思ってしまう。

調子に乗って必死にこいでスピードを出してみた。おお、自分は今風になっている。

「ちょっとスピード出過ぎたかな」と感じたのでブレーキを掛けるも、たいして減速しない。というかブレーキがきかない。
前には住宅地の中の曲がり角。車が飛び出してきたら間違いなく衝突する。

効果のないブレーキはあきらめて足でガリガリ減速する。
ガリガリ・・・ザザザザザ・・・・・・曲がり角の真ん中で止まった。
幸い車の姿はない。

久しぶりにこんなにもドキドキ感を味わった。
もしそのとき目の前に女性がいたら「一目惚れしてしまった」と錯覚してしまうだろう。それくらいドキドキした。

皆も恋をしたかったらブレーキの壊れた自転車に乗ってみたらいいと思う。すごいドキドキ感が貴方を包み込むだろう。
恋愛はいつだって命がけだ。



2005年1月7日 悪魔倒しゲーム

ボーリングスコアの平均が70くらい。

正直へたくそだ。ただボールをまっすぐ投げればいいだけなのに、なぜかできない。

自分の知人にプロボウラーがいる。一回だけ一緒にやったことがあるがスコアがおかしい。ストライクじゃないと「あれ?おかしいな?」くらいの勢い。おかしいのは貴方のスコアです。

そんななのであまりボーリングが好きじゃない、わけじゃない。結構好きだ。
なぜか楽しい。たまに出るストライクがとても楽しい。

調べてみるとボーリングの歴史は古いらしく、紀元前5000年くらいにはあったらしい。
中世ドイツではピンを悪魔に見立てた宗教儀式でもあったとある。

楽しい宗教儀式だなぁと思う。普段は全然宗教について考えない自分もいいなぁと思ってしまう。

でも自分はへたくそなので、悪魔が全然払えてないことになる。

普段ボーリングがへたくそでも「お前へただな」で終わる。しかし悪魔祓いの要素が加わればそれだけではすまない。「お前はダメだ。悪魔に呪われて死ぬぞ!」とか言われてしまうかもしれない。

やっぱりボーリングはへたくそでも楽しい娯楽のままがいい。



2005年1月6日 管理人ポップスパよりの感謝の挨拶

今までポップコーンスパを応援してくださった皆様、ありがとうございました。

年も開け、何か新しいこと、今までできなかったことに挑戦しようと考えている人もいらっしゃると思います。

そんな自分も新たな一歩を踏み出すこととなりました。
つきましてはポップコーンスパも節目を迎えたのだなと思い、本日のテキストとなった次第です。

このブログをはじめたのは2004年の6月の頭でした。そのときはすぐに更新が面倒くさくなるかなと危惧していたのですが、たまに寄せられていたコメントや、トラックバックなどが励みとなり、もっと面白いテキストを、もっと面白いテキストをと自分に鞭を打ち、毎日更新を自分なりに必死にやってきました。

至らないテキストも多々あったことと思います。自分自身納得していないものも多くあります。しかしそれらは自分に対する戒めとしてそのまま残すことに決めていました。

ブログ開設から約7ヶ月ですが、前述の通り、ここで一つの節目を迎えたのかなと自分の中で思いましたので、本日のこのような挨拶に至った次第です。

今まで応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。
多々コメントを下さった方、ありがとうございました。
トラックバックを下さった方々、ありがとうございました。
このような拙いブログをおすすめブログとしてご紹介していただいた方、本当にありがとうございました。

このポップコーンスパの存在が、誰かの心の片隅にでも残っていくのなら、これ以上の喜びはありません。そしてそれを目指して今までの更新を行ってきました。

昨日まで、何の前触れもなくこういう状況になってしまったことをお許しください。 今まで本当にありがとうございました。
管理人「ポップスパ」




これにて去年の分の感謝の言葉を終わりにしたいと思います。

新たな一歩として、明日からの更新テキストは尚一層の努力の下に生み出されているものです。ちょっとおもしろくないなぁ、とか感じることがあっても自分はがんばってるんです。
笑ってください(最悪のお願い)

・・・ポップコーンスパは終わりませんよ。明日も更新しますよ。見てください。いやホント・・・石を投げないでください。ごめんなさい。

これをもって新年の挨拶とさせていただきます。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

こんなブログでよろしければ本年もまた御一読をぜひ。



2005年1月5日 日産セダン絶賛発売中

セダンという車はすごく売れているんだなぁと思っていた。

友人に車好きの人がいる。その人が結構車を見ては「セダンかぁ。いい車乗ってるなぁ」とかなんとか言っているのを聞いて、「セダンって車はものすごく多いなぁ」と感じていた自分。

日産の販売台数がすごいから、セダンというのは日産の車だな、とかまで勝手に想像していた。

実際のセダンとは、4ドアでちょっと大きくて、乗用車みたいなアレを指す言葉らしい。実は説明をしてもらっても良くわかっていない自分。

自分は免許あるが車には乗っていない。いわゆるペーパーだ。
もしいつか車を買うことがあって、友人に「車何買うの?」と聞かれたら自信満々に「セダン」と答えようと思う。

「セダンっていうのはね、4ドアでちょっと大きくて・・・」と親切丁寧に説明まで繰り出してあげようと思う。



2005年1月4日 松本伊代もダメ

緑の中を走り抜けてく真っ赤な車。

山口百恵のプレイバックPART2の歌詞である「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ♪」
しかしNHK紅白歌合戦に出演する際にNHK側から「ポルシェっていう固有名詞出すと宣伝になっちゃうからやめてね」と言われて、泣く泣く「ポルシェ」という歌詞を「車」に変えたらしい。

そもそも緑の中を走り抜けていった車が、一瞬でポルシェとわかることがすごいと思う。自分なら絶対にわからない。車は正直皆同じに見える。

「あれポルシェだね」 と言われたとしても自信はない。赤い車としかわからない。
うーん、君がそう言うならそうなんじゃないかなぁ、とお茶を濁すだろう。お茶を濁すことにかけては少し自信がある。

いやここは男らしくはっきりと「あれマーチだよね」と言ってみようと思う。名前は知っていても外見は全然わからない自分の中のマーチ。

マーチという車は売れているみたいなので、なんでもかんでもマーチと言っておけばいつか当たることもあるだろう。



2005年1月3日 駆け落ち志望

1月3日は駆け落ちの日。

なんでも昭和13(1983)年のこの日、女優の岡田嘉子と杉本良吉が、樺太の国境を越えてソ連へ亡命したらしい。

ドラマかなにかを思わせるスケールのでかさ。亡命って。

もし自分が駆け落ちするとしても、せいぜい隣の県とかだと思う。最悪隣町だ。亡命どころか自転車で行ける距離。そこにはないドラマチックさ。あるのはただの現実感。

しかも駆け落ちした瞬間には「もう帰らない?」とか言ってしまいそう。愛のために生活を全部捨ててしまう駆け落ちの最中にもない、自分の中の緊張感と高揚感。

そもそも愛だけじゃあ暮らせないだろう。

もし自分と駆け落ちしようと考えている物好きな人がいるとしても、そこに貴方の理想としているドラマチックさは存在しないと断言しておく。
それを承知の上なら、三日間くらいなら駆け落ちしてもいい。駆け落ち先は箱根温泉とかどうだろう。



2005年1月2日 スリッパ誕生物語

スリッパの語源はなんなのだろうと思ったので調べてみた。

江戸末期、明治初期に外国人が多く来日しはじめた。彼らは土足文化であり、家の中でも土足で上がってくる。
それに困ったので、家の中用の草履を使い始めたらしい。それがスリッパの始まり。

語源はスリップから来ているらしい。

とても納得できるスリッパ誕生物語だ。まさかそんな国際色極まる誕生だったなんて。 自分は「どうせ外国から輸入したものだろう」とか考えていた。ここはスリッパに対して素直に謝罪したいと思う。

しかし「すべる」という意味のスリップが名前の由来というのはなぜなのだろう。どうせなら「滑らない」にすればよいと思うのに。

まさか明治初期の人たちは、土足で家に上がる外国人たちに対して
「靴で家に上がりやがって。これ履いて滑って転びやがれ!」
とかいう憎悪の念を抱いていたのかもしれない。そんな由来のスリッパ。

グローバル社会の開始に対して心を許しきれなかった日本人。
世界に対しての確執が残した遺産。それがスリッパ。



2005年1月1日 欠点があったって好きなものは好き

お寿司の自信は音を立てて崩れ去る。

お寿司という漢字はすごい。
寿を司ると書いて寿司。「祝い事なんて俺の意のままだぜ」という確信が伺える。すごい自信だ。

たしかにお寿司は祝い事の時によく食べられるし、またなにも祝い事がなくともお寿司を食べれば美味しくてそれだけでうれしい。まさに寿だ。意のままに操られてしまう。 お寿司すげぇ。

自分の友人に「海産物が全部ダメ」という人がいる。アレルギーなのか嫌いなのかは知らないが、貝も魚もさきいかすら食べられないその友人。

友人「お寿司?あんなの食べたくないよ。勘弁してくれ」

お寿司だって万能じゃない。この世の全員に幸せをもたらせるわけではないのだ。お寿司にだって欠点はある。

そんなちょっと自信をなくしかけていても、自分はお寿司が大好きだ。



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