軽くパニック。 目が覚める。手元においてある携帯電話の時計を見ると午後1時半。どうやら8時間くらい眠っていたようだ。 暖かい春の朝。まだ眠り足りない、重く圧し掛かるまぶたを無理矢理押し上げ、僕はベッドから起き上がる。もう午前中はないけれど、僕の今日はこれから始まるんだ。 カーテンを開けると、窓の外には雪が積もっていた。 そんな夢を見た。 時計を見ると午後4時半。 入社志望動機を教えてください。 履歴書や入社面接にありがちな質問だ。わが社を志望した動機を教えてくれたまえ。 大抵この質問の答えは丸暗記していて 「御社の社風に魅力を感じ、なんたらかんたら」 まぁこんなところだ。 最近爆発的に数が増えているというブログに作製面接とかがあったらもう大変だと思う。 ドアが目の前にある。まずノックをするのが礼儀だ。 トントン 面接官「どうぞ入室ください」 僕 「よろしくおねがいします」 面接官「それでは質問を開始したいと思います」 Q「なぜブログを作ろうと思ったのですか、動機を教えてください」 A「ブログという言葉の意味がわからず調べていたら作製ページに飛んだからです」 Q「もしブログ作製が可能になったとして、具体的にどのようなブログにしたいですか」 A「なにも身につかない、なにも学べない、そんなブログにしたいです」 Q「コメントとトラックバック機能がブログの最大の特徴ですが、閲覧者とはどのように関わっていこうと考えていますか」 A「コメントをもらえたら喜んで、トラックバックしてもらえたら喜ぼうと思います」 Q「自分の過去の部活や体験をブログにどう生かすことができると思いますか」 A「様々なくだらない体験やちょっと思考回路が独特な友人を、少し脚色したりして、綴っていこうと思います」 Q「最後に自己アピールをどうぞ」 A「ブログは更新が簡単なので大好きです。よろしくお願いします」 たぶん僕はブログ作製の内定をもらえないと思う。 パンをおまけして結婚。 そんなエピソードをテレビで見たことがある。 ある男がパン屋に勤めている。そのパン屋に来店する一人の女性。そんな彼女に一目でハートを貫かれる店員の男性。でもお客さんを口説くのはちょっと問題だし、なによりもそんな勇気がない。 彼はそこでひらめく。おまけしてあげよう、と。 彼女はパン屋の近くに勤めているのか、ほぼ毎日のように来店した。そのたびに彼は彼女におまけしてあげる。毎日毎日おまけしていた。 ある日彼女が会計を済ませる際に、彼に対して言葉を発した。 彼女「毎日おまけしてもらってるんですけど・・・いいんですか?」 彼 「あ・・・えと・・・実は・・・あなたと話すきっかけになるかなと思って・・・おまけを・・・」 彼女「え?」 これがきっかけとなり彼と彼女は結婚することになった。まさにパンをおまけして結婚したのだ。 先日、男三人で定食屋に夕食を食べに行った。注文を聞くために、若い女性の店員さんが来た。僕は焼き魚定食で、友人二人はから揚げ定食を注文した。そして、から揚げ定食が二つ運ばれてくる。焼き魚は焼くのに時間がかかるのかまだ来ない。 彼らはから揚げをおいしそうにバクバク食べている。 僕らは今、就職活動真っ只中なので、彼らとその近況を熱心に話した。タバコを吸いながら、どこを受けただとか、あの会社の試験が大変だったとか、人生に関わることなので熱く討論した。 気がつくと彼らは食べ終わっていた。僕の焼き魚はまだ来てない。 僕 「すみませーん。焼き魚定食は?」 店員「・・・は?」 どうやら注文を取った店員さんが僕の焼き魚定食をメモし忘れたらしい。 これは僕と話をするきっかけにしようとした彼女の作戦だと思う。 大学生も残念ながらあと一年でフィニッシュです(マネーの虎) ついさっき大学に入学したと思ったのだが、いつの間にか4年生になってしまっている。たぶんこれは夢なんだと思う。現実の僕は暖かい布団の中でぬくぬく夢を見ている大学1年生なのだろう。 中学時代の友人から電話があった。 友人「俺今年で卒業できるか危ないんだよねー」 どうやら僕が4年生だということは夢ではないらしい。しかし少し考える。彼がもし留年したとすると、彼は来年も大学生。 僕はコロンブスのたまごを発見した。まだ大学生でいられるじゃないか。 もし来年僕が「今年も大学生です」とか書くことがあったらそのときは 「アイツ・・・やったな・・・」 という思いをそっと胸に秘め、暖かく見守ってくれたらうれしい。 小学校のときに怖い先生がいた。仮に名前を佐藤先生としよう。 教室でその佐藤先生の話を友人数人としていた。まぁ悪口なので呼び捨てで「佐藤のやつ、むかつくな」とかそんな話だ。友人が一人トイレに立った。 彼がトイレに行ったあとすぐ教室のドアが開いた。入ってきたのは佐藤先生だ。 やべぇ聞かれたか?と全員ビビるもどうやら日誌かなにかを取りに来ただけらしく、教卓あたりをごそごそしていた。 そこにトイレから帰ってきた友人が、教室内に佐藤先生がいることに気付かないまま入り口付近で大声で、「あの佐藤ってさー・・・・・・」 そして時は止まる。完全に凍りつく友人と、燃え盛る佐藤先生。 もちろん彼は怒られていた。迂闊な行動は自分の首を絞めることを実感した。 そんな彼は結婚して4歳の子供までいる。結婚を初めて聞いたときに「おめでとう」とかそんな言葉よりも何よりも先に僕の頭をよぎる、エピソード。 音楽を聞きながら本を読んでいた、今日一日。 本を読んでいてふと思う。 様々な物語、様々な人間模様を描き出す本だけれど、結局そこにあるものは紙とインクだけだ。そんなインクに僕らは心打たれ、胸を躍らせる。 音楽を聞いていてふと思う。 喜怒哀楽を表現し、その音楽自体に自分の思い出を重ね、心を奪われていく。しかし音楽もまた所詮、音の高低でしかない。ドとレとミとファとソとラとシ、それだけだ。 漫画鉄腕アトムで、アトムの言うこんなセリフがある。 「僕は音楽だけはわからない。僕には高さの違う音が鳴っているだけとしか思えないんだ」 人として僕らは物質的な幸せを目指すことが多い。しかしインクを物語として捉え一喜一憂し、また音の高低を音楽として認識し心を動かす、これ以上の幸せがあるのだろうか。僕にはとても思いつかない。 きっと僕らはこんなふうに、心を動かすために生まれてきたんじゃないだろうか。 感動を得て、そしてそれを分かち合う。これ以上に求めるべきものはなんだろう。 今日は休日でとても天気が良かった。僕は窓を開け、暖かい日差しに照らされながら音楽を聞き、本を読んで過ごした。ちなみに一歩も家を出ないで一日中誰とも話さない一日だった。そしてこんなことを考えていた。 なんてポップスパさんは寡黙でクールでかっこいいんだろうと思ってくれたらいい。 いえ、決して一人で寂しくなんてありません。 電話が1回も鳴りませんでしたけど、泣いてなんかいません。 リモコンがとても便利なのは認める。 手を伸ばさなくてもテレビの画面を変えたり、音楽の音量も調節できる。もしリモコンがなければわざわざその前まで行き画面を変えたり、ボリュームをいじくったりしなければならず、僕の人一倍のめんどうくさがりも手伝って過剰にリモコンに感謝する日々を送っている。リモコン様ありがとー。 だけどリモコン捜索がめんどうくさい。 リモコンの能力に文句はなにもなく、頭が下がる一方だ。しかしリモコンの素行には問題がある。どこにいったのかさっぱりわからない。もちろん適当に放り投げる僕が悪いのだけれど。 この問題を解決するためにメーカーはリモコンに「自動帰還システム」を搭載したらどうだろうか。これを搭載されたテレビリモコンは一度使用されると自動的に主であるテレビの近くに勝手に戻っていくのだ。これでもうリモコンを見失うことはない。 しかしおそらくリモコンは自身のアイデンティティを疑い、悩み、苦しみ、そして自分の存在意義を見失ってしまうと思う。なにせリモコンなのにテレビの近くに置かれるんだからね。 僕らはリモコンを見失わない。しかしリモコンは自身を見失う。 自動帰還システムは僕らに社会の矛盾と厳しさを教授する伝道師なのだ。 幽霊には足がない。 日本の幽霊は、長い黒髪で、白い装束を着て、足がない、というイメージがある。白い装束というのはもう時代遅れかもしれないが、やはり長い黒髪の足なしというところは外せない。 今回はその足がないという部分に着目してみようと思う。 足のない幽霊を思い描いてみて欲しい。足はないのに直立したときの高さに顔があり、胸があり、腰があるだろう。つまり幽霊は空が飛べるということになる。 これはもう人間なんかを驚かせている場合ではないと思う。 高いところからビルを見下ろしたりできるし、国境とかも関係ないだろうから海外旅行も思いのままだ。まさか海の横断中に空腹で倒れたりはしないだろうから、コンパスがあれば外国まで飛んでいけると思う。海横断が不安なら船や飛行機を利用すればいいだろう。 すごい。僕が前々から行きたかったギリシャとかも行き放題だし、ライブだって聞き放題だ。 幽霊になるのも悪くない。いや、むしろちょっとなりたい。 アメリカや海外のホラー映画を見たことがあるだろうか。海外のホラー作品には足がない幽霊というものは出てこない。代わりにいるのがゾンビだ。動く死体と呼ばれる彼らは足とか全然ある。普通の人にもモロ見えだ。海外旅行に行こうとするとパスポートを見せてくれとか言われてしまうだろう。 「足のない幽霊」が実在するとしたらこれはちょっとおかしい。実在するならもう少し映画なんかで活躍していてもいいだろう。日本人が死ぬと足がなくなる幽霊になって、外人はゾンビになる、なんてことはちょっと考えづらい。 この辺を考慮するとどうやら「足のない幽霊」なんてものは実在しないということになる。 少なくとも海外に足のない幽霊はいない。 もしかしたら幽霊になるとものすごく日本が好きになって、海外旅行とかに興味がなくなるんだろうか。 「き、金閣すげー」とか毎日考えているのかもしれない。 うどん。 この世の人を2つに分けるとするならば、それは「自炊をする人」と「自炊をしない人」に分けられる。僕は後者だ。ちなみに無理矢理分ける意味はない。 なのでたまの自炊になると、これはもう作るものなんて限られてくる。カレーか焼きソバかうどんかパスタか、大体はその辺だ。麺類が以上に多い。 僕はうどんが大好きだ。特に夏になると冷やしうどんがとてもおいしい。 うどんを口に含むと鼻に抜けていく昆布とかつおだしの香り。ヒヤリとする感覚とうどんを噛んだときの弾力の感覚が同時に襲い、うどんを飲み込んだときののどごしもまたたまらない。 考えただけでもよだれがだらだらパソコンの上まで垂れてしまう。これは誇張演出です。 しかしやはり手間が簡単だという一言に尽きる。鍋に水を入れて火に掛けて適当にうどんをぶち込むだけ。テクニック要素ゼロだ。 夕食にうどんを茹でた。お腹が減っていたので2玉同時に茹でたまではよかったのだが、当然あると思っていためんつゆが切れていた。気付いたのはうどんが出来上がってからだ。 さすがにそのまま食べるのも辛いので、皿にうどんを乗せ、上から醤油をジャー。 ・・・・・・。 大切なものはなくしてからその重要性がわかる。 めんつゆからそれを学ぶ僕。 犬を放して散歩をする人がいるだろう。 紐も鎖も繋がずに、犬をトコトコ好き勝手に歩かせているのか、決まったルートを歩かせているのかはわからないが、あれは本当に勘弁してもらいたい。手綱を付けて散歩をしてほしい。 この世の人が全員犬が好きなわけじゃない。正直怖い。犬が突然走ってきて僕に噛み付いたりするかもしれない。 これを人に言うと大抵帰ってくる答えが 「犬はおとなしいから大丈夫」とか 「かわいいからいい」とかだ。 そもそも僕は犬の存在自体怖いので、噛み付くのも近づいてきてすりすりされるのも一緒だ。本当に紐くらいつけて散歩をしてほしいです。 ここまで言ってもまだ「おとなしいから、かわいいから大丈夫」とか言う人もいるのだが、じゃあこっちから質問をさせてもらうけれど、幼いころからサーカスに飼われていて人間に慣れ信頼しているライオンを、鎖にも繋がずに街中を散歩させたらどうだろうか。 「大きさが全然違うじゃん」と思うならライオンを大蛇とかで置き換えて考えてもいい。大蛇なら犬くらいの大きさだ。僕の気持ちが比較的伝わりやすいと思う。怖い。 僕の目には「しっかりと紐で繋いで犬の散歩をする人」は「大蛇の尻尾を持って散歩している人」に見えているんだ。つまり紐で繋いであれば、大蛇の尻尾を掴んでくれているならば、何とかがんばって犬をやり過ごすことはできる。 毎日大蛇に囲まれるような、スリル溢れる生活に憧れるのなら、犬嫌いになったらいいと思う。 コンビニで良く言い間違える。 なにを考えているというわけでもないのだが、なんとなく、おにぎりが美味しそうだな、とか今日は帰って何をしようかなとか考えながらレジでタバコを買おうとすると「JSP一つ」とか言ってしまう。そんな銘柄ない。JPSだ。 この前はキャスターの7mgを買おうとして「キャスターを70」と言ってしまった。このときは店員に通じたらしく、しっかりとキャスター7mgが出てきたのだが、もし70個出てきたらどうしていただろうか。 冬にはおでんを買ったときに、味噌かカラシかを聞かれて「3つ」といつものタバコの癖で個数を答えてしまったこともある。僕はどれだけ味噌とカラシを食べたい人なんだ。 小学生のときクラスで先生を間違えて「お母さん」と読んでしまった人がいた。ただの言い間違いなのだが彼はそれ以来なにかあると「お母さんだろ、お母さん」と、からかわれていた。そのときは僕も笑っていられる立場だったのだが、最近の僕の行動を見ていると危険信号が点滅しているとしか思えない。 でもさすがにコンビニで「お母さん」と言うミスはしないよな、と安心しきっていたが、これをタバコを買う直前に思い出してしまい 「(ハハハ、ここでお母さんなんて言うわけ無いよな)・・・・・・ええと・・・タバコ・・・」 と言ってしまった。完全にパニック&挙動不審。 店員さんもこんな客の相手はいろいろ大変だろうが、客は客で必死なんだということはわかってもらいたい。 プレステ2もただの箱。 ゲームショップへ行くと、前からやりたいと思っていたソフトが安くなっていたので購入した。ゲーム自体久しぶりなのでウキウキ気分で帰宅をする。 プレステ2の電源を入れる。オープニング画面がかっこよく流れ始める。おお、おもしろそうだ。 でもコントローラーが一つも無い。 家に帰ってくるまで忘れていたのだが、どうせ自分はあまりゲームをやらないからと、友人にコントローラーを全部貸していたのだった。 そしてひたすら流れ続けるオープニング画面と無為な時間。ああ、これで3度目のオープニングだ。 コントローラーを返してもらおうにも、貸した友人は就職活動で地元に帰っている。近くに住む友人に電話をかけるも「今ゲームやってるからムリだ」と言われる。 がっくりとうなだれる僕を横目に、もはや何度目かわからないオープニング画面だけが生き生きとテレビの中で動き回っていた。 レディースエーンドジェルメン。 今日は僕の素敵な一日を紹介するよ。これは大学が休みだったある一日の僕の全行動だ。「私もこんな素敵な一日を送ってみたいわ」と思うような、それはそれはブルジョワジーな休日の過ごし方さ。 タイムイズマネーという言葉があるよね。「時は金なり」って意味なんだけど、もっと言っちゃえば時はお金じゃあ買えないんだから、「時は金よりも貴重」ってことだよね。世界一贅沢な旅行は船での世界一周だと言われているしね。 さてこれからが僕の素敵な一日の過ごし方さ。テレビで世界一の大富豪の家とかを紹介する番組を見るように、君も僕の過ごし方に「いいなぁ・・・」と感嘆の声を上げながら僕の一日のタイムテーブルを読んでもらいたいね。 それではどうぞ。 午後3時00分:起床 午後3時00分〜10分:朝食(カップメン) 午後3時10分〜翌日午前3時30分:友人から借りた漫画『ワンピース』を全巻読破 午前3時30分:就寝 以上です。まさか時計が一周しているとは思わなかった。地球の時間軸が狂ったとしか思えない。 英語発音でアレキサンダーであるアレクサンドロス大王。 東方遠征で有名だが、彼にはこんなエピソードがあるらしい。 気前のいい彼は、王様だというのに部下である貴族達に酒の席で、自分の持つ森や、建物なんかの領地をあげてしまう。それはもうホイホイとあげたらしい。 そして彼には何もなくなる。心配した仲間がアレクサンドロスに聞いた。 仲間「王様の財産はなにもないね」 彼 『私には希望がある』 僕もこんなにかっこいいセリフをさらっと言いたい。 財布の中のお金を友人にあげ、貯金を寄付し、本もDVDも残らず誰かにくれてしまおう。服なんかもいらない。住むところもいらないな。 v 『なんたって僕には希望があるからね』 そして公園での寝起き生活が始まる。新たなる旅立ち。 ノストラダムスの大予言。 1999年。恐怖の大王が世界に現れるとかなんとかで、世界滅亡しちゃうんじゃないの、と言われていたんだけれど、やっぱりなんにもなかった。もう6年も前の話だ。もしかしたら小学生の人はこの話自体知らないかもしれない。 しかし何も被害がなかったからといって、何も起きなかったと判断するのは間違えている。もしかしたら人知れず恐怖の大王と戦った正義のヒーローみたいなのがいたかもしれないだろう。 恐怖の大王と戦うヒーロー。しかしピンチだ。 ヒロイン「もうやめて。あなた一人で戦うなんて、無茶よ」 ヒーロー「無茶でもなんでも、戦わなくちゃダメなんだ。地球が滅ぶんだぞ!」 ヒロイン「もし地球が助かっても、あなたがいない地球なんて私にとって何の意味もない・・・」 ヒーロー「・・・ありがとう・・・・・・すまない」 恐怖大王「フハハハハ、命乞いはしなくていいのか?」 ヒーロー「いくぞ、恐怖の大王、うおおおぉぉぉぉ!」 自分の命と引き替えに究極のワザを繰り出すヒーロー。恐怖の大王は悲鳴と共に塵と化すが、ヒーローの姿も共に消え去っていた。力なく崩れ去るヒロイン。 ヒロイン「・・・あなたが守ってくれた地球・・・私は強く生きるわ。天国から見ててね」 こんな三文芝居だったのかどうかはわからないが、もし恐怖の大王がいたとしてもヒーローが勝ってしまったのでノストラダムスは結局予言を外している。 世の中結果だ。実力社会。 バウリンガル、ニャウリンガルに続く第三の商品はこれだ。 「ついに発売。これであなたの家のゴキブリの心境が手に取るようにワカる!」 そんなキャッチコピーで売り出されるゴキブリンガル。そして世は空前のゴキブリブームに沸くのだ。「おはよー、昨日ゴキブリがウチに出たの。『奥さんきれいゴキね』って褒めてくれてさ」「おはよう、ええ、いいなぁ。うちなんてマンションの10階だからなかなか出てくれないの」と、そんな会話が繰り広げられる素敵毎日だ。 『ゴキブリは鳴かないから、感情なんてわかるわけない』 そんなツッコミをしたあなた。それは少し結果を急ぎすぎている。 人間は気分がいい時は足取りは軽く、気が沈んでいるときは足取りも重くなる。つまりゴキブリの足音のカサカサ加減から、ゴキブリが何を言いたいのかを読み取るのだ。 ゴキブリンガルのない、今までの姿はこうだった。 人間「あ、ゴキブリー。きゃー!」 ゴキ「カサカサー」 人間「殺虫剤はどこ、どこ、もー、新聞でいいや」 ゴキ「カサカサー」 人間「気持ち悪い。動かないでよー」 バン! しかしゴキブリンガルのある世界ではこうなる。 人間「あ、ゴキブリー。きゃー!」 ゴキ「やっぱり奥さん綺麗だなぁ。でも殺されるから逃げよう」 人間「え、私が綺麗?」 ゴキ「ぼ・・・ぼくの言葉がわかるんですか?」 人間「ええ。この機械で」 ゴキ「じ、実は前逃げたときに初めてあなたを見て・・・その・・・好きに」 人間「え、困るわ、いきなり・・・」 と、こうなる。ゴキブリブームが来るのも頷けるだろう。 僕の頭にバルサンをぶっかけたら、きっと悪い虫が沢山出てくると思う。なにを真夜中に一人でこんなことを書いているんだ。 バウリンガルに問題があるとするならばそれは「犬は日本語がわからない」という点だ。 バウリンガルが可能なら、機能を真逆にしたジンゴリンガルは作れないのだろうか。この場合は日本語よりも万国共通である英語の方がいいだろう。エイゴリンガル。 機能は簡単だ。その機械に英語を吹き込むと、それに対応した犬語「ワンワン」という音声が発せられるのだ。 これで犬との完璧な会話が可能だ。いままでのバウリンガルは犬の感情を読むだけの一方通行だったのだが、これからは 1:犬が鳴く。バウリンガルで意味を調べる 2:こちらの意見をエイゴリンガルを使って犬に伝える 3:犬がこちらの意見に対応してまた鳴く。バウリンガル使用 信じられない。紛う事なき犬との会話だ。 僕「よし、せっかく犬に言葉を伝えられるんだから、ポップコーンスパの内容を読んで聞かせてやろう。大爆笑間違いなしだな」 犬「・・・」 僕「ペラペラペーラペラペーラ(ポップコーンスパの内容を英語で言っている)」 エイゴリンガルにて英語を犬語に翻訳をする 犬「ッワンワンワン」 バウリンガルにて犬語を日本語に翻訳 犬『貴公の文章は状況説明が拙く情景が思い描きづらい。なおかつ初期における前フリがラストのオチに完全に生かしきれておらず、むしろ不必要なのではないかという印象さえ受ける。推敲作業の甘さと語彙の貧困さが目立つと共に、既存サイトの影響も多く見受けられた。以後は客観視を身につけられるように数をこなし、尚一層のわかりやすさを追求したら良いと思うワン』 最後に「ワン」と喋り、犬としてかわいらしくしたのは、彼の精一杯の愛情なんだと思う。 バウリンガルというものがある。 犬がなにを喋っているのかがわかる機械なのだが、まぁその真実性は別としても、発想がおもしろい。大真面目に研究し、犬の鳴き声パターンを作って、機械に入力された音声パターンがどのパターンと類似また酷似しているかということを瞬時に計算した上で 犬 「ワンワンワン」 機械「おなかがすいたよー」 それだけの機械。くだらなすぎて好きだ。 コレがどんどん進歩して、ものすごく正確に訳せるようになったとしたら、今までほのぼのとしていた風景がこうなる。 男「おいポチ。今日は母さんじゃなく俺と一緒に散歩行こうぜ」 犬「ワンワンワン(なんで野郎と一緒に行かなきゃなんねんだよ。お前俺が糞すると怒るしよ)」 男「そうか、うれしいか。よし行くぞ」 犬「ワンワン(ほらな、お前空気読めねぇし。そういうところも嫌いなんだよ)」 男「ワンワンって、そんなにうれしいのか散歩が」 犬「ワンワンワン(ちっ、そりゃ散歩はいいがよ。お前の散歩コースだとナオミ(雌犬)に合えないんだよな。ま、この空気読めない男になにを言っても無駄か)」 男「よし今日は走るぞ。俺のトレーニングも兼ねてな」 犬「ワンワン!(げーマジかよ。なにがおもしろくて朝っぱらから男と一緒にハァハァ言わなきゃなんだよ。今日は厄日か、くそ)」 そんな風景。夢も希望もない。あるのは人に飼われることに慣れてしまった犬の感情と、犬との真の心の会話を放棄した、悲しい男の言葉の響きだけ。 ぜひここまで訳せるように、バウリンガルはどんどん進化してもらいたい。 と、ここまでバウリンガルに対する希望を述べてきたのだが、実は一つ問題が残されている。 僕は犬が苦手だ。 単純に年を取ってそういうのが好きになってきているだけ。 食べ辛いからカニは嫌いだと言う人がいる。 こういうことを言う人は結構いるだろう。骨が面倒くさいから魚が嫌い、とか、ちょっと独特すぎて豚足は、とかね。 カニや魚や豚の立場から考えれば、こんな理不尽な嫌われ方はない。 自分「俺、君のことが前々から気になっててさ。好きなんだよね」 彼女『ごめんなさい。あなたってやせてて小骨が多く食べ辛いから嫌いなの。あとお肉がちょっと硬いし・・・』 こんなフラレ方をするようなものだ。 でも魚視点から考えると、どんどん小骨を増やし、川魚みたいな泥臭さを増して、筋肉を増やし身を硬くすれば、つまり食べられる機会が減り長生きできることになる。そんなまずい魚を人間は食べないからね。 「最近の魚はあんまり美味しくないな」 そう感じることがあったら、それは魚自信が必死になって自分をまずくしているのだ。生きたい生きたいと切実に願う心が彼をまずくさせる。涙無しには語れないエピソード。 逆に言えばどんどん美味しくなっているのは、さっぱり生きる意志がない生き物なのかもしれない。 例えばさんまとか。あれ超美味い。どんどん生きる意志をなくしてほしい。 僕は今回のテキストの中で一つ、ウソをつく。 集中力を研ぎ澄まして、読んで欲しい。集中力、注意力のテストだ。「なんでそんなことをやらないと悪いんだよ」とか思わないでさ。 僕は携帯電話をあまり使わない。 誰かから連絡が来たら返したり、何時に連絡をくれという用事があるのなら、ちゃんと連絡をするけど、自分から進んで携帯電話を使うことはあまり無い。 つまり暇つぶしで携帯電話をいじるということがない。 もちろん、まったくしない、というわけではないけれど、本を読んだり、考え事をしたりすることの方が圧倒的に多い。ここに更新する内容なんかを考えたりもする。 メモリー登録件数も正直少ない。ああ、この人にはもう連絡は取らないだろうと思われる人はバシバシザクザク消していく。だってどうせ連絡しないんだから。 なのでよく「登録件数少ないなお前」と言われるのだが、別に困らない。そもそもそう言う君は「登録番号の中で連絡をとる人間が何人いるのか?」と聞きたくなる。多分、僕とそう人数は変わらないんじゃないかと思う。それとも僕以外の人は本当に毎日のように、上から順番とかで、100人とか200人に連絡を取っているんだろうか。 情報を溢れかえらせることは簡単だ。しかし「どの情報が自分にとって大切なのかを見極める力」がなければ、その溢れかえった情報が意味するものは、ゼロだろう。 僕の登録件数が少ないのはそういう理由からだ。 と・・・友達が少ないわけじゃないぞー。たぶん。 ・・・あ、一応テストの答え、ウソの部分を明記して終ろうと思います。 一行目です。 ここに来てすぐの僕は 死んでいたようなものだった じぶんじしんがわからなくて 君だけに感じていたあの感情の 有している意味がわからなかった。 今の僕にはわかる きみが大切だった ウソをついたこともあったけれど、これは本心だ 愛してた。 ある男が失恋をした。ただそれだけのはなしだ。 君はどうなのかわからないし もう会えないかもしれない いまここで大声で叫んでもきみには届かないだろうけれど あいしている、今でもきみを。 さようなら。 まねかれざる文章だったことを謝る。真意に辿り着けることを祈って。 ポップコーンスパは最高で「おもしろい」 ベストエフォートという言葉がある。インターネットを考えると分かりやすいのだが、例えば下り50Mbpsの契約をしたとして、いつもダウンロード時に50M出るわけではない。 「最高で50Mでるんだけれどね。最善を尽くすから普段は遅くても我慢してね」 これがベストエフォート。最善は尽くすがサービスの提供内容を補償するものではない。 ここポップコーンスパも実はこのベストエフォート方式を採用している。 普段最善を尽くしているんだけれども、どうしてもおもしろさがわからない、どう考えてもつまらない、そもそも何を言っているのかわからない、といった感想を抱かれることも少ないと思われるこのブログ。 それは仕方ないです。なにせここはベストエフォート方式ブログですから。ここは「最高でおもしろいテキスト。普段はそこそこなテキスト。たまには全然面白くないテキスト」なのですから。 「おいてめぇふざけるんじゃねぇぞ。つまらねんだよタコ野郎」 あなたがこう思ったとしても、僕が怒られるのは筋違いだ。僕は最善を尽くしている。 僕はベストエフォーってる。 あ、ちなみに今回のテキストもしっかりベストエフォったのだが「たまには」の部類のテキストになってしまった。うん、仕方がないな、これは。 ロンドンとパリは常に霧に覆われている。 イギリスはビートルズ発祥の地ということは承知しているし、花の都ロンドンと言われていることもわかる。赤い二階建てバスだって写真くらいなら見たことがある。 でもなぜかロンドンと聞くと僕は「・・・フランス?」と思ってしまう。 パリに凱旋門があることはわかる。やたらでかいと噂のエッフェル塔がどかーんと建っていることも十分わかるのだが、僕はパリと聞くと「・・・パリか」と思う。もうパリがどこの国の首都だとかを考えない。ああパリか、と国名のように感じてしまう。 もちろんロンドンはイギリスの首都で、パリはフランスの首都だということは考えればわかる。逆に言えば考えなくてはわからない。 ニューヨークと聞けばいちいち「ニューヨークか・・・どこの国の都市だったかな」と考えることなくアメリカだと答えられるし、カサブランカと聞けば、映画のイメージしかないけれど、モロッコだということもわかる。 でもなぜかロンドンはフランスでパリはパリ国。完全に間違えて僕の脳みそにはインプットされてしまっている。 これに近い感覚を味わってもらおうと質問を考えてみた。 「横浜は何県か?」「オーストラリアの首都はどこか?」 つい横浜は神奈川県ということを忘れてしまうことがあるし、オーストラリアの首都はついシドニーと答えてしまいがちだと思う。なかなかメルボルンなんてマニアックな名前は出てこないだろう。・・・間違えた、キャンベラだ。 もはやオーストラリアに至っては二重に間違えて覚えてしまっている。ええと首都はシドニーじゃなくて、ああ、メルボルンだ。・・・キャンベラか。 僕がいつイギリスという言葉を覚え、フランスという言葉を覚え、ロンドンという言葉を覚え、パリという言葉を覚えたのかは忘れてしまったが、一つわかることは、もう一生僕はこのままなんだろうということだ。 初対面の坊主に向かって「ロンドンってどこの国の都市ですか?」と聞いて「え・・・」と悩んだとしたらそれは僕の可能性が高い。さらに「オーストラリアの首都ってどこですか?」と質問し、少しの沈黙の後「・・・メルボルン」と答えた後に「ああ、キャンベラキャンベラ」と訂正したならばそれはもう9割方僕だ。 よろしくお願いします。 こたつの上に積んである本が邪魔だ。 僕は人並みには本を読むけれど、同時に5冊くらいの本を読む癖がある。なので現在進行形で読んでいる本をこたつ(テーブルの役目を果たすので年中活躍)の上に積んでしまう。 僕の狭いこたつの上には五冊も本があって、タバコが3箱くらいとライター、灰皿、メモ帳、リモコン、パソコン、飲み物を飲むグラスと、それはもう朝の満員電車がちょっと空いたくらいでひしめき合っている。この状態はとても不便だ。 パソコンはこたつに置かないと使えないし、タバコもやめるわけにはいかない。なので結局本が邪魔者扱いとなる。禁煙する努力は放棄している。 だからといって僕の「同時に多数の本を読む」という癖は直しようがない。 どうすりゃいいかなと友人に相談すると、こう言われた。 「こたつもう一つ買えば?」 何も思い浮かばない。 元々あまり食に対するこだわりがないせいか、世界三大料理が中華、トルコ、フランス(イタリアの場合あり)と、国名だけの知識はあるのだが、もうトルコ料理なんてなにがなんだかわからない。想像すらできない。 中華は餃子もあるしチャーハンもある。フランスはワインがあるし、イタリアだってピザがあったりする。 トルコ・・・オスマントルコ帝国・・・イスタンブール・・・もう知らない。料理じゃない。 調べてみてもよくわからない。結局コレだという料理名が存在しない。 しかし世界三大料理の中華とトルコは完全固定なので、やはりトルコ料理は美味いのだろう。 トルコ料理・・・トルコ料理・・・。 どんなにトルコ料理のことを考えてみても、頭に浮かぶのは「トルコ料理」という日本語の文字だけ。 これだけイメージが湧かない言葉というのもそれはそれですごいと思う一方、世界三大料理としての地位に座っているのにこれでいいのかお前は、とも思う。 でもトルコ料理広報担当が努力して「トルコ料理食べに行こうぜヘヘヘイ」と言われるまでに浸透すると、それはそれでまたなにか悲しい。彼には三大料理であるにもかかわらず、よくわからない存在であって欲しい。 そうだ、結局僕は今のままのトルコ料理が好きなのだ。想像もできないけど。 一度相手を否定してみることで見えてくる、相手への愛情。食べたこともないけど。 スーパーモデル超え。 家にいる時は大抵コップを横に置き、中には水。さすがにいつもミネラルウォーターを飲むわけにはいかないので水道水だが、ゴクゴク飲む。 水を飲むのは健康にいいと聞く。血液をサラサラにし、不要な老廃物の排泄を促し、さらに美肌効果もあると言われる水の摂取。健康の第一歩である。 スーパーモデルは一日1.5〜2.0リットルもの水を飲んでいるというデータもある。 僕はタバコを吸うのだが、タバコにコーヒーは合わないと思っている人間だ。かといって紅茶も合わない。水が合う。タバコをスパスパ吸って水を飲むのはとてもおいしい。 健康に気を使うわけじゃあなく、ただ単純に水が好きだ。 これからも美容効果があるとか、健康にいいとかいう側面を気にせず、純粋に水がおいしいからという理由で水をゴクゴク飲もうと思う。 このテキストを書いている間にまた200ml水を飲んだ。2リットル飲んだらスーパーモデルになれるなら、僕はたぶんとっくにスーパーモデルだと思う。 どうやら水を飲んだだけではスーパーモデルにはなれないらしい。 駅の自動改札が好きになれない。 僕は方向音痴のくせに「道に迷ってから考えよう」という最悪の思考の持ち主なので、よく道を間違える。それは一度通ってきた道ですら迷うし、10分前に通った道ですら間違える。 自動改札というものがある。切符を入れたりカードをかざしたりして料金をチェック、徴収する機械だが、もう大抵の駅では設置されていると思う。金沢駅にはないけど。 これがどうも好きになれない。 体験した人も多いだろうが、この機械、完璧ではない。問題の無い切符を入れたとしてもたまに、ブーと音が鳴ったかと思うとバタンと出口を塞がれる。 「ヒィィィごめんなさい」 という気になる。僕悪くないのに。 そして当然だが間違えた切符を入れてもバタンと閉まる。この時は本当にごめんなさいだ。 僕はよく、駅構内でも道を間違える。「あ、ここが出口だな」と思い自動改札に切符を入れると鳴り響く電子音。ブーブーそしてバタン。 そこは出口ではなく新幹線乗り場。壮絶な間違え方だ。たしかに看板には新幹線乗り場と書いてある。でも全く見ていない僕。まさに「道を間違えてから考えて」いる。 駅員さんの改札なら「これ違いますよ」「あ、スミマセン」で済むのだが、自動改札は電子音でブー。なんかもう僕は人生の道まで間違えてしまったんじゃなかろうかという気までしてくる。そしてそれはあながちはずれてはいないところが尚一層のテンションの降下をもたらす。 しかし自動改札が「ア、コレ違イマスヨ」と言ってくれればいいといものでもない。それはそれできっと腹が立つだろう。じゃあ自動改札をどうすればいいのかと言われても困る。それはわからない。この難しい問題の解決策は今だ導かれてはいないのだ。 いや、問題があるのは僕の方か。 恋:プライスレス 先日100円ショップに足を運んだ。 そこで7つの商品をかごに入れレジに持っていった。レジ係の店員さんは高校生くらいの女性で、肩まである黒髪がサラサラしている。素敵だ。店員さんがレジを打つとレジスターには当然のように「合計735円」の文字が表示される。 僕は財布から500円玉1枚と100円玉3枚を取り出した。さて合計はいくらでしょう。答え800円。つまりお釣りは65円。 僕がその800円を代金徴収の小皿に置く。 店員はそれを見て、こう言った。 「600円でよろしいでしょうか?」 え?と漫画のように聞き返してしまった。は?という顔をされてしまう僕。いやいやいや、あれ、僕が悪いの?小皿を見ても確かに800円ある。 曖昧な返事を返すと、店員さんはこう言った。 「それでは、600円のお預かりで、お釣りは、65円になります。ありがとうございましたー」 すごい良い笑顔だ。自分が800円と600円を間違えて二度も口にしていることなんて気付く素振りもない。 偶然の二回連続言い間違いなのだろうか。でもそんなことはありえるのか。 それとも彼女の10進数は1、2、3、4、5、8、7、6、9、10なのだろうか。しかしそうなると「おつり65円」とは言わず「おつり85円」と彼女が言わなければつじつまは合わない。 ノート:100円 灰皿 :100円 言葉にできない不思議な気持ち:プライスレス お金で買えない価値がある。買えるものは100円ショップで。 修学旅行は長崎とか行きたかった。 僕が先日大阪へ行ったときにも多く見られたのだが、中学生らしき修学旅行生がいた。しかし彼ら彼女らは制服を着ていない。思い思いの私服を身にまとっているのだ。 あれ、もう制服での修学旅行ってやらないの? 僕が中学生の時は、学ラン、セーラー服で、なぜか行き先は東京だった。そりゃあ東京は世界主要都市だしメトロポリスであることもわかるけれど、別に修学旅行としてはそういうところよりも、鎖国時代も外国に門を開いていて文化交流が盛んだった長崎とか、広大な自然が眼前に広がる北海道だとか、カステラが美味しくて坂道が多い長崎とかにしてくれた方が勉強になると思う。長崎が二回出てきたのはそれくらい行きたいからです。 僕は修学旅行は制服ですべきだと思う。 もちろんその旅行自体勉学の一環であるし、また学生としての自覚、けじめある行動を促すことも容易になると思うし、何よりも自分たちがどこどこの学校なんだという誇りを持てると思う。学生服はそれほどまでに尊く重要なものであるだろう。 なので修学旅行は断固学生服で行うべきなのだ。 大体なぜ僕らは学生服で街をうろうろしていたのに、先日見かけた修学旅行生は私服なんだ。学生服は目立つし、なんか縛られてる気になるし、私服に着替えようかとも思ったけれど荷物は多くなるし、先生に見つかったらうるさいだろうし。 修学旅行は制服で行いましょう。そして辛い思いを味わったらいい。私服なんて卑怯だ。 キーッ!うらやましい。 そもそも学生服なんていらないと思う。 パソコンが壊れてインターネットにつなげられなくなってしまいましたので、本日の更新は中止させていただきます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。 |