セミの一生は一週間もある。 昨日のテキストの考え方を180°変えてみた。セミの一生は一週間もあるのだ。 セミから見ると人間はどのくらい長生きに見えるのだろうか。 まず人間の寿命を80年と考えると、セミに比べて約4174倍生きるということになる。 ここで僕らがセミであると仮定すると、その4174倍、つまり333943年間生きられる生物を彼らは見ているという計算結果になった。 30万年生きる生物。セミ達から見たら僕らはそれだけ長生きしている生物なのだ。 じゃあここで僕が本当にセミだったとしたら、そんなに長生きをしている生物を見てどう思うだろうか。それはもうこれしかない。 「そんなに長く生きてどうするの?俺はちょっと足りないとは思うけど80年(一週間)はあるんだから、まあいいや。彼女もできるし、空だって結構飛べるしね。暇にならないくらい楽しんで死んでいけるんだから、俺にはちょうど良いかな」 もしかしたら全ての生物の体感人生なんてほとんど一緒なのかもしれない。僕らはたまたま時間という概念を持っているせいで、それに縛られすぎているんじゃないだろうか。 そう考えれば、セミの一週間も人間の80年も大差なんてない。限られた時間の中で、思い切り自分のやりたいことをやって死んでいく人生を目指していることは、僕らもセミも変わらないんだ。 セミは一週間も生きていられるのだから。 そんなことをベッドに寝転びつつ、鼻くそをほじりながら、「ちっ、セミのやつ、ジージーうるせぇなぁ。一週間も生きていられるんだからもう少し静かに求愛しろよな。夏は好きだけどセミの声だけはいやだよ。音を聞いただけで暑苦しいぜ」と思いながら考えました。 ・・・最後の三行は書かなかった方が良かったと思いました。反省します。 後悔なんかしているほど時間を無駄遣いする人間に生まれて損したなと思いました。 セミの一生は一週間しかない。 幼虫の間は何年間もずっと土の中にいるけれど、それはほとんど寝ているだけだ。大人になり外に出たとたん、彼らの人生は儚く散っていく。必死に異性にアピールし、交尾をするだけだ。 僕ら人間の平均寿命は80年と言われている。そんな僕らにしてみればセミの一生なんてほんの一瞬だし、短くてかわいそうだなぁとも思う。 しかしそれは違うんじゃないか。 セミの一生は確かに一週間しかない。しかしその中で本気になって異性を求めるだろうし、交尾をして子孫を残すことで、今後生まれてくる彼らに全てを託していくのだろう。まさに文字通り全てを託す。自分の思いも、生まれてくる彼らのそのまた子孫の思いまでも。 そんな風にして彼らは短くも重い鎖を紡ぎ出していくのだろう。永遠に途切れることのない、途切れさせてはならない、重く強い鎖を。 彼らの生きている人生の密度は僕達なんかよりもずっと濃いのだろう。 人生に時間の長さなんて関係ないのだ。 そんなことをベッドに寝転びつつ、鼻くそをほじりながら、「ちっ、セミのやつ、ジージーうるせぇなぁ。一週間しか生きられないにしてももう少し静かに求愛しろよな。夏は好きだけどセミの声だけは嫌だよ。音を聞いただけで暑苦しいぜ」と思いながら考えました。 ・・・最後の三行は書かなかった方が良かったと思いました。反省します。 後悔ができるくらい時間に余裕がある人間に生まれてよかったと思いました。 ジュースにおまけがついているのが当たり前みたいになってきた。 ペットボトルの蓋に設置できるフィギュアや小さなキーホルダー、ジュースを飲むためのコップがついているようなものまである現在のおまけ。中には飲料よりもおまけがメインになっているようなものまである。まるでコメントの方がおもしろいと評判のポップコーンスパみたいだ。 でもそろそろ飽和ぎみ。皆もおまけに飽きてきた頃だと思う。 いや、ブログのコメントは飽きてないんでバシバシくださいよ、いやマジで。 話を元に戻す。 そこでジュースにおまけを付けることは廃止し、そしてなおかつ無駄は一切省くのはどうだろう。 そこで登場するのは、シャンプーなんかで良くある、詰め替え用のものだ。 つまりジュースの詰め替え用液を出すというのはどうだろうか。ここでシャンプー詰め替え用のような容器を使用しては今のペットボトルよりも高いと思われるので、容器はただのビニール袋がベストだろう。 ビニール袋に直接入れられた様々な色の液体。それを過去に買ったペットボトルに詰め替えて飲む。詰め替え用なので安く、1リットル100円とかで販売だ。 すげぇ、これは飲料業界の革命になるんじゃないだろうか。 ビニール袋に直接入れられた、ちゃぷちゃぷたぷたぷする液体を見て飲む意欲がそそられるのかとか、たぷたぷさせたコーラなんてすごい勢いで噴き出すんじゃないかとか、そういう難しいことは僕は知らない。 コンビニに陳列されている様を思い描いてみても、それらが売れなさそうなのはなんとなく感じる。 尊敬と畏怖の念を思い切り込めて。 人生一番の高い買い物と言えばやはり家だろう。何年も何年もローンを払い続け、やっと手に入れることができる、人生最高金額の買い物であることは疑う余地がない。 友人が僕に告げる。 「聞いてくれ。この間実家に帰ったんだよ。そこで地元の元同級生と遊んでたんだけどさ、そいつが見せたいものがあるからついて来てくれって言うんでついてったわけ。そしたらさ、誰の家か知らないけど一軒家に連れて行かれたんだよ。そこでそいつが言うんだよ。 「これオレの家」 ってさ。すげぇよな。中も案内されたんだけど、もう本当、家なんだよ普通のさ」 話によるとその元同級生さんは高校を出てすぐに働きはじめたらしい。僕なんて今でも親のスネをかじって暮らしているのに。うーん、すごい話だ。同い年なのに結婚して、家まで買ってしまうなんて。人生プランが完全に出来上がっているんだろう。しっかりしているなぁ。 僕は正直に思いの丈を述べた。 「そいつすごいね。結婚して家を買うなんてさ。俺には到底真似できないな」 「違う違う、そいつ結婚なんてしてないよ」 「え、家買ったんだろ、結婚してないの?じゃあもうすぐ結婚するのか」 「しないしない、そいつ結婚どころか彼女もいないって言ってたぞ」 「・・・じゃあなんで家なんて買ったんだよ」 「今考えるとそいつ高校の頃から家が欲しい家が欲しいって言ってたしな。だから買ったみたいだよ。よっぽど欲しかったんだろうな、ハハハ」 アハハハハ。 僕にできることなんて、そうさ、笑うことしかないだろう。 朝まで酒を飲んでいて、昼間に起きたは良いものの酒が残っていたのといろいろな疲れから何もする気が起きず、一日中家でボケッとしていた僕が、本日行なった一番有益なことを述べろと言われたら 「カートン買いしてあったタバコを9個並べてドミノをやった」 と答えるしかない。 僕らはもう子供の心を失くしてしまっている。 小学生の頃はかくれんぼや鬼ごっこを結構やっていた。最後の方にはただの鬼ごっこではなく自転車を使ったりもした。移動可能な範囲を決めて、自転車で駆け回る。範囲が広いと30分以上鬼に遭遇しないことだってザラにあった。自動車も通ったりするのであぶないのだが、当時はとても楽しかったことを今でも覚えている。 一回鬼になったらもはやどうすることもできない缶ケリもやったし、勝手に他人の庭に潜り込むかくれんぼもやった。 しかし思春期を過ぎ、子供から大人になる過程の中でこれらの遊びの輝きは失われていった。テレビゲームがあったことも原因としては大きいし、異性間のやり取りに興味を引かれていったことも原因の一つであると思う。 僕らはもう子供の心を失くしてしまっている。 しかし今かくれんぼをやってもおもしろいんじゃないかとは思う。 鬼が隠れている人の携帯電話を鳴らして探したり、それを逆に利用して携帯電話を全然関係ないところに置き鬼を誘導する事だって可能だと思う。 うん、結構楽しそうだ。そうさ、僕らはまだ純粋な子供の心を失くしてしまってなんかいない。よしここは友人達に僕のこの新かくれんぼ案を発表してみよう。 「・・・てなことを考えたんだけど、どう?」 「いいなそれ、おもしろそうだよ。あ、そうだ、こんなのもどう?かくれんぼで一番初めに見つかったヤツがさ、最後まで隠れていられたヤツに5000円払うってのは。これならすげぇマジになって隠れるだろ」 僕らはもう子供の心を失くしてしまっている。 僕も昔はモリモリ食べていた。 今でこそカップラーメン一個食べればお腹一杯だし、ご飯を二杯食べることも滅多にない僕だけれど、小学3年生位の時には結構な量を食べていた。ラーメン屋に行けば二杯食べたし、ご飯も茶碗で六杯とか平気で食べてた。今の僕には絶対ムリだ。 でもそれで身長が伸びたとか、太ったとか、そういうイベントは全くなかった。ホースの片方の口からラーメンを入れたら反対の口から漏れていくように、それら大量の食べ物はただ僕の体の中を通過しただけで、過剰に吸収されることなく、出て行ったんだと思う。 そう考えると今の僕の少食も、当時の僕の大食漢っぷりも、吸収されている栄養価は同じくらいだ。だったら今の少食の方がお金が掛からないし、手軽に満腹感も味わえてお得じゃないだろうか。 なので僕はこれからもどんどん食べる量を減らして(どうせ吸収される栄養価は同じだからね) まずは一日一食になり(どうせ吸収される栄養価は同じだからね) 最後にはエンゲル係数を0にしようと思う(食費での出費が0円だね。やったね) (吸収される栄養価も0) 最近家で酒を飲むとすぐに寝る。 一時期寝酒として毎日飲んでいたので、その時の習慣が体に染み付いたのか、自分の部屋や友人の部屋で酒を飲む機会があると、よっぱらうとすぐに寝てしまう。居酒屋なんかで飲んだ時では、近くにベッドがないということもあるだろうけれど、それほど眠くはならない。 しかもたちが悪いことに眠りを起こされるとものすごく機嫌が悪い、らしい。僕はよっぱらいプラス寝ぼけなので覚えていないのだが、友人の話から察するにそういう現状らしい。 これではまずい。友人宅の飲み会の度に寝ていたら場もしらけるし、ベッドも勝手に占領するので迷惑千万だ。 ということで「寝酒」の習慣を体から追い払うための作戦を考えた。 理論は簡単だ。酒を飲んでも起きていればいいのだ。そうすれば「酒を飲んだら起きている」という習慣が体に染み込むだろう。これを睡眠を十分にとった後に実行すれば僕の理論は完成する。 僕が今朝、寝起き一番にストレートのいいちこを飲んで吐いたのはそんな理由からです。 たしかに一発で目は覚めましたけれども。 たしかにストレートのアルコール25度を一気に飲む僕も悪いですけれども。 ポップスパの運命が見えてきた。 ここにあった左上のヤツで姓名判断をしてみた。こういう姓名判断は本名ではなく、普段使うことの多いペンネームのようなものでも効果を発揮する、となにかで読んだ記憶があるので、ここにポップスパと入れてやってみた。ポップが名字で名前がスパだ。 結果は以下のようなものになった。 (以下の文章はこの結果からの抜粋を用いている) ええと、総合的な評価には『温厚で心やさしく、包容力があります』とある。うーん、隠しているつもりが見抜かれてしまったな。なかなかこの占いは見る目がある。 『聡明な判断力に絶大な信望』『円満な家庭と成功への道を確かな足取りで歩みます』ともある。ちくしょう、この占い師を連れて来い。おっさんがおこづかいをあげたる。 『人柄の良さから、一歩ずつ着実に実績と基盤を確立していく』 よし、努力を重ね、僕の人柄を生かし、ビクトリーロードをひた走る自信が湧いてきた。 『親身になってくれる友人や知人に恵まれにくいでしょう』 『恵まれた人間関係の中で一生をおくります』 このように、パッと見では相反することのような記述もある。しかし、本当に親身になってくれる人に出会うのは誰だって難しいだろう。そんな中で僕は、難しいながらも恵まれた人間関係を築き上げ、信頼を得ていけるのだ。これ以上に幸せな人生があるだろうか。 『幸運に恵まれることが多くなります』と書いてあることからも、これは確実なようだ。 どうやら「ポップスパ」という名前は適当に考えた割には、かなりの幸運を呼ぶ、僕を幸せに導いてくれる案内人らしい。こんなステキな名前をパッとひらめく僕は、その点から考えてみてもやはり聡明な判断力を持ち、成功へのロードを走ることが許されている存在のようだ。 まぁ、もちろん少し悪い判断を下された点もいくつかある。それを最後にまとめて列挙して本日のテキストを終わろうと思う。いやー、ポップスパって名前にして本当、よかったなぁ。 『物事がうまくいかない原因を他人のせいにしがち』 『大きく発展しにくいでしょう』 『栄枯盛衰が激しく滅びてゆく傾向があります』 『あまり貯金ができないタイプです』 『孤独を暗示している運勢』 『不安定な運勢』 『金持ちになると配偶者や実子を事故や病気で失いやすくなる傾向があるので気をつけてください』 『人格 凶』 ナースキャップは今でも当然のように出てくることから察するに。 なぜ服装くらい自由にさせてくれないんだと、中学生や高校生の頃にずっと考えていた。学ランは陸軍服でセーラー服は海軍服。俺達は軍隊じゃないのにな、なんてひねた考えもしていた。制服なんて大嫌いだ。なんであんなものが学業の場にあるのだろうか。 個性の尊重。 そんな言葉を並べてみても制服がある学校は多い。服装なんて一番わかりやすく個性が出せるのに、言っていることとやっていることがまるっきり違う。 集団行動の基礎を学ぶ もちろん実社会に出た時に集団行動が必要になることはわかる。しかし別に服装を縛る意味はないと思う。服装の違いで差別区別が生まれると言う人もいるかもしれないが、それならまずそんなくだらない偏見、服装だけで他人を攻撃し始めるしょうもない性格を直させるのが集団行動の基礎の基礎だろう。 制服を着たい人は着れば良いし、私服が良いなら私服を着れば良いと思う。そういう様々な要素が絡むのが個性であり、集団行動であり、自由というものだろう。 もしこの学生服撤廃が完了したとなると一番困るのはどこだろうか。 学制服を売っている人、いやいや。 経済力のない子供に対して服を買うお金を払う親、いやいや。 たぶん女子高生モノを扱うエロビデオ業界だと思う。 街行く人をじろじろ見てしまう病。 僕は間違いなくこの病気なので街を歩く人をじろじろ見てしまう。「うわぁあの人奇抜な格好だな、どこで売ってるんだあの服」とか「うへぇすげぇ美人だぜ、げへへへ」とか「なんだこのくそ坊主。まぬけな面をしてるぜ」とか思いなが街を歩いている。ちなみに最後のは店のガラスに映った僕の姿の感想だ。 街を歩く僕。前から来るのはサラリーマン風の若い男と、黒髪の綺麗な女性の二人連れだ。 うーん、うらやましいな、くそ、と僕がこれほど嫉妬の念を送っているのに、それにまったく気付かず楽しそうな会話を繰り広げながらどんどん僕に近づいてくる二人組。 そして二人とすれ違う。そのとき女性の方が男性に向かって喋る声が僕の耳に届く。 さぞ美しい、透き通るような声なんだろうなと思って耳を傾けると、低い男の声。 野太い、とまではいかなくとも例えるなら保坂尚輝のような声だった。僕がサラリーマン風の男の声を聞いて、女性の人が出した声だと勘違いしたということはない。間違いなく(一見)女性があの保坂尚輝の声を出したのだ。 可能性を列挙してみよう。 ・あの女の人の声がただ男っぽいだけ ・あの女の人は実は女の人じゃない ・あの女の人が実は女の人じゃないことに男性は知っているけど恋人同士 ・あの女の人が実は女の人じゃないことに男性はうすうす感づいているけど恋人同士 ・「いやー、俺の彼女ってすごい声が男っぽくてさ。そこがまたかわいいんだよね」「でも変なんだよね、付き合いだして結構経つのにまだ、ほら、寝たことないんだよね。なにをそんなに恥ずかしがっているんだろう」「またそこがかわいいんだけどさ。いつか彼女の心の氷を溶かしてやるぜって感じでさ」「え、彼女は実は男なんじゃないのって?何言ってんのお前、馬鹿じゃね」 ・恋は盲目、いや、難聴か? できちゃった結婚というものがある。 女「子供ができたよ」 男「ふーん、ほんなら結婚するしかねぇな」 そんな状況を表す言葉であるできちゃった結婚。初めからこれを狙っている人も少なからずいるだろうが、大抵は男のほうが「あーあ、やっちまったな」と思い後悔するも、もはや全て後の祭りになっているという恐ろしい出来事だ。ちなみに何組かいる僕の友人の結婚の動機は全部コレだ。 でも別に子供じゃない何かが「できちゃった」結婚というものがあってもいいと思う。 ・普段は失敗ばかりしている肉じゃがが美味しくできちゃった結婚 ・最近歯を磨くのをサボってたらやっぱり虫歯ができちゃった結婚 ・ノックする音。男は見ていたテレビの続きが気になるもしぶしぶ立ち上がり部屋のドアを開ける ・そこに立っているのは男の恋人だった ・男「あれ、お前今日仕事があって来れないんじゃなかったっけ?」 ・女「何回だっけ・・・あんたのプロポーズ。そのたびにあたしは断っていたけど」 ・男「もうわかってるよ、今は仕事に全力を注ぎたいんだろ。やりたいだけやれよ、待つよ」 ・女「・・・仕事、やめちゃった。さっき辞表出して・・・」 ・男「え・・・・・・それじゃあ・・・」 ・女「・・・で・・・来ちゃった・・・」 ・男「結婚!・・・してくれんのか?」 この二人がこれからどうなっていくのか、みんなの温かい目で見守ってあげましょう、とかそんなことはどうでもいいとして、これだけ長丁場なわかりづらいダジャレもなかなかないと思う。 というか最後の結婚の部分は結婚そのまんまなのでもはやダジャレでもないような気がしている。 休日は午後5時に起きることも珍しくない。 僕の生活サイクルは基本的に狂っているので、寝るのが朝10時とかでもそれほど特筆すべきことではない。朝起きて12時間ぶっ続けで本を読んで寝るという一日もあるくらいだ。 ある日僕は午後4時半に起きた。その日には友人と会って食事をする予定がある。顔を洗って着替えてすぐ家を出なくては間に合わない。「あらやだ、彼との待ち合わせに遅れてしまうわ」そんな心境だ。 そして友人と会ってすぐビールで乾杯。 朝起きて初めて口にするものがビール。うらやましいとか、体に悪いとか、そんな話をするのもバカらしくなるほどの堕落っぷり。つまみうめー、ビールうめー、タバコうめー、と寝起きすぐの僕のテンションボルテージもマックス。 サラリーマンを「社会の歯車」と形容することがある。あまり良い響きではないが、自分の意思を持たず、ただ社会のためにあくせく働くというイメージから来た比喩だろう。「オレはサラリーマンにはなりたくねぇんだ!」と家を飛び出す二流ドラマなんかもある。 僕の場合は違う。歯車にすらなれない自信が自分の中で満ち満ちている。 午後5時に起きて、起床一番ビールを飲み、朝10時に寝る。 そんな歯車でよろしければ、どこかの人事部の人、よろしくお願いします。 梅雨明けだけれど春はまだ来ない。 僕の大嫌いな雨の季節が終わってこれから本格的にビールの季節が来る。日本の四季は春ビール秋冬と改名してもいいくらいだ。 僕はもともとそれほどビールが好きではなかったんだけれど、ある時から突然好きになった。理由はわからない。一目惚れみたいなものだ。運命の出会いと言ってもよいだろう。 人間との運命の出会いはないままに、今日も一人でビールを飲む。 体調を崩す予感がしたので毎朝カロリーメイトを食べている。 僕ぐらいの健康志向になると普段から健康のために栄養を積極的に摂取するということはない。野菜ジュースさえ飲んでおけば大抵は凌げる、気がしている。病は気からだ。 しかし最近、一日三食マクドナルドのハンバーガーとコーラ、という生活をしたり、野菜ジュースを一週間飲まなかったりなくせにカップメン比率が上昇したりとちょっとまずい生活を繰り返していた。 そんな時、ふっと「あ、そろそろ体調を崩すな」という予感がした。いや、予感と言うよりも必然と言ったほうがより正確な表現であるだろう。 なので栄養価がバランスよく配分され摂取できるカロリーメイトを毎日食べることにした。もそもそとカロリーメイトをかじりつつ、野菜ジュースでそれを胃に流し込むのだ。もう健康優良児なんて僕のためにある言葉としか考えられない。 そんなわけで毎日カロリーメイトを食べているんだけれど、さすがに飽きてくる。味も数種類あるとはいえ劇的に変わるわけじゃあない。チーズ味もフルーツ味も正直違いがわからない。いくら栄養を取るためだといっても、毎日毎日同じような味では体調面では改善されても精神面はやつれていく一方だ。これでは心身ともに健康とは言えない。 なのでカロリーメイトを醤油味にしてみた。日本人ならワビサビ醤油だ。 小皿に醤油を乗せ、それをスシのように持ったカロリーメイトの端っこにちょこんと付ける。 僕の体調面と精神面が一気に悪化したような気がするのは考えすぎだろうか。 僕はどうせレンタルビデオショップのヤツくらいしか持ってませんよ、ふんだ。 僕の実家の近くに全然売れてないと思われるジュースの自動販売機があった。小学校低学年の頃だけれど、僕はそこで10円を入れておつりを出し、また10円を入れておつりを出すということをしたことがある。ギザギザの10円ほしさの行為だった。 何度目かわからないつり銭レバーを倒し、お釣り口に手を入れる。先ほどまでと手に当たる硬貨の大きさの違いがわかった。 そこにはなぜか500円玉。 なにが起こったのか認識するまでに少し時間がかかったけれど、僕はとてもすごいことが起こったことを悟った。低学年の頃の僕にとって500円玉なんて1等当選宝くじの当たり券と同じようなものだ。すげぇ、すげぇ。 それからまた何度も10円を入れ、おつりを出すという行為を繰り返した。するとまたもう一枚出てきた。信じられない。 もちろん機械の故障だということはわかったし、他人に言えないようなことだろうなと思ったけれど、当時の僕にやめられるわけはない。今はもう時効だろうと思ってここに告白している。結局出てきた500円玉は2枚で、僕は980円得をしたことになる。 もし今、これと同じ状況で20円が千円に化けたら、僕はどう感じるだろうか。得したぜ、とは思うだろうけれど、当時の興奮は決して味わえないと思う。カップラーメンが10個買えるとか、バイト1時間分の給料だなと思う程度だろう。 先日コンビニにタバコを買いに行くと、僕の前で小学生の低学年かそれよりも小さい女の子二人組みが小さなガムを買おうとしていた。僕から見て左側に立っている一人の女の子がポケットから一円玉を10枚取り出し、チャリンチャリンと音をさせて置いた。レジのバイトの女性がそれらを一枚一枚数え、ぴったり10枚あることを確認した。 二人の女の子はガムを握り締め、笑い声をあげてコンビニを飛び出した。 あれだけ楽しそうにガム一つを買っていく姿を見て、なぜだか僕は少し悔しくなった。タバコを3つ買って、千円近く払った僕の方がお金は持っているけれど、彼女達は僕の持っていないなにか、もしかしたらなくしてしまった何かを持っている。コンビニを出た僕の視界にはもう彼女達はいなかった。 今日、僕はまたいつものようにコンビニへタバコを買いに行った。僕の前には今度は小学生らしい男の子。レジにジュースとお菓子を何個か置いている。 店員が合計値段を告げると同時に彼はカードを一枚取り出す。それをカードリーダーにかざした。レジスターの画面には会計が済まされたことを告げるメッセージ。男の子は顔色一つ変えず、袋に詰め込まれた商品を持ってコンビニを出て行く。 500円玉を一枚出して買ったタバコを握り締めてコンビニを出ると、店内から元気の良い「ありがとうございましたー」という声が聞こえた。タバコに火をつけて一口吸った。いつもと同じ味だった。 とか言いつつ一ヶ月以上見てないけど。 テレビのデジタル化に伴い、アナログ放送は2011年をもって終了となるらしい。アナログ放送しか受信できない今のテレビはその瞬間一斉にゴミと化すのだ。 しかし放送のデジタル化といってもいまいちよくわからない。 調べてみるとここに詳しく書いてあったので抜粋する。 高画質「高精細な解像度画面であるデジタルハイビジョンとなる」 ノイズレス「地形や建物などの立地条件により映りが悪い等の障害がアナログ放送では生じていたが、デジタル放送では、デジタルチューナにより、必要な信号のみを抽出するため、ノイズはなくなる」 多チャンネル「MPEG2を用いて動画像圧縮を行っているため、これまでのアナログ放送では、1つの番組に1チャンネルという電波を使用していたが、デジタル放送では、1つのチャンネルにデジタルハイビジョン、標準テレビ、音声放送、データ放送などの多くの番組を詰め込むことが可能」 データ放送「テレビ放送以外に、天気予報、交通渋滞情報、チケット情報などのデータを表示することが可能」 インタラクティブ「デジタルテレビには、通信用モデムが内蔵されているため、電話線をつなげることで、テレビ局と視聴者間の双方向の情報送信が可能」 とてもわかりやすい。画質が向上するのは単純にうれしいし、またチャンネルが増えるのもいい。天気予報なんてネットで見ればいいんじゃね、とは思うけれどデータ放送が普及したらそれはそれで便利だろう。テレビ番組と双方向に情報が交換できるのなら、クイズ番組に自分で答えるということも可能だと思う。まさに未来だ。 と、ここまで長々とデジタル放送についての知識を書いてきたけれど、実のところ僕はタモリ倶楽部しかテレビ番組は見ないので、正直デジタル放送とかはどうでもいい。別にタモリの顔を画質向上させて見てもおもしろさなんてそれほど変わらないし、双方向でコミュニケーションしたって、マニアックな話しかしないタモリ倶楽部に僕から言えることなんてなにもないからだ。 デジタルデジタルとよくわからないことに振り回されることなく、僕はこれからもタモリ倶楽部を楽しみにしていく心を忘れないようにしたい。 それを着て京都あたりをうろうろと。 日本人はよく英字プリントのTシャツを着ている。デザインとして英語を捉え、配置やフォントを様々に変化させてプリントされているTシャツはかっこいいので僕も結構着ている。 最近外国では漢字プリントのTシャツがナウいらしい。 ナウいという言葉自体は全然ナウくないけれども、日本人の英字の捉え方と一緒で、漢字をデザインとして捉え着こなしている。 街で『日本人彼女募集中』という文字が印刷されたTシャツを着ている金髪の外人男性がいた。 これはたぶん確信犯だ。 「オレ、漢字ワカラナクテサー。コノTシャツモ読メナインダヨ。ナンテ書イテアルノカナ?」 「やだー。彼女募集中って書いてあるんだよー」 「エエー。ソレナラ、君ニ僕ノ彼女ニナッテモラオウカナァー・・・」 「ええー、ちょっとそれ本気なのーアハハ」 そんな風に日本人の女性を誘うための罠であるTシャツ。 く、くそう、うまいこと考えやがって・・・。 『I want to my girlfriend blonde』 明日からこう印刷されたTシャツを着て歩くことにするので、綺麗な金髪さんは僕に気軽に話しかけてきてくれたらいいと思う。 いえ、僕は英語は全然ダメなので、なんて書いてあるのかはわかりません。 コンビニのレジ袋が有料になるという話がある。 ゴミの量を減らすための対策なのだが、なんだか根本的に論点がずれている気がする。たしかに有料となればレジ袋をもらう人は少なくなるだろうが、ちょっと納得はいかない。 レジ袋だって軽量化や有害ガスの発生しないものなど、様々な努力をしてきたのに、最後の最後でもう思いつかないからいっそのこと有料にしようぜ、という対策。なんでも一袋5円とかそのくらいらしい。 これはつまり「金持ちはゴミを捨てまくっても良い」という理論だ。 金があればなんでもやっていいのか! 世の中金が全てじゃない! もっと根本的な解決策を模索しろ! 僕はこの熱い思いを友人に語った。彼はその重い口を開く。 「別に5円くらいいいじゃん。一日2枚買ったって所詮月に300円だろ。お前なんて毎日タバコ買ってるんだからそれをやめたら余裕じゃん。すげぇいいアイデアだろ。タバコやめろ。すぐやめろ。だいたいアレは他人に迷惑なんだよ。煙いし臭ぇし体に悪いし・・・」 論点がずれるとかそういうレベルじゃなく僕への攻撃を開始。 白昼夢および幻覚症状。 メンズノンノの『私が恋に落ちた瞬間』という投稿コーナーを読んでいたのだが、その中の一つに目を奪われた。ここに抜粋して勝手に載せてみる。 『普段は遊んでそうで、遅刻しまくりの男子が、大学の時間割を真剣に考えていて、頭を悩ませている横顔がなんか新鮮でドキッとした』 単純に単位が足りていないだけだと思う。 普段ユルユルしている男の真剣な顔を見たことで、今まで意識していなかった感情に気付いたことはわかる。しかし彼が真剣になった動機が情けない。 単位不足ゆえの真剣さ。普段の生活が本当に真剣じゃないことが丸わかりな彼。 彼は「浮気をしないように心がけるタイプ」ではなく「浮気してから真剣に謝るタイプ」なのかなと勝手な想像を膨らませたりもする。 しかし、単位が足りなくて焦った末の真剣な顔が恋につながる、なんて思ってもみなかった。 僕の場合は単位以上に人生で重要な就職内定がないので「就職が決まらず悩んでいる顔」ができる。その真剣さから、もしかしたらそろそろモテモテになってしまうかもしれない。 いやー、まいったなぁ。僕の体は一つしかないんだぜハニー達。 なんだこのテキスト。 街中でトイレに行きたくなった。僕の視界に公衆トイレが入る。中に入って、大きい方の洋式便座に腰を下ろすと、ちょうど僕の目の前に張り紙があった。そこにはこう記されていた。 『ペーパー以外を流さないでください』 多分トイレットペーパー以外を流されると水に溶けず詰まってしまうのだろう。しかし今そこは問題ではない。この張り紙の左端には赤ペンで書かれたと思われる落書きがあった。そこに書いてある「林家」の文字。わかりやすく書くとこうなる。 『林家ペーパー以外を流さないでください』 ということで実際に二人を流してみた。 自分「あの、すみません、ちょっとお二人でこちらに来ていただけないでしょうか?」 ペー「なになに、なんなの?」 パー「きゃぁぁぁぁ(パシャパシャ)」 鳴り響くパーのシャッター音。僕は二人を洋式トイレの中に無理矢理立たせた。 自分「ここはお二人のためだけに用意された特別席でございます」 ペー「なになに、なんでトイレに立たされてるの?ドッキリ?」 パー「きゃぁぁぁぁ(パシャパシャ)」 自分「いえいえ、まもなく終わりますので、今しばらくお待ちください」 そして僕は眉一つ動かさずにトイレの流水ボタンを倒す。ゴーッという音と共に流れでる水。二人はなにかうめき声と機械音をさせながらトイレの排水溝に吸い込まれていく。先ほどまで僕の目の前に存在していたショッキングピンクを身に纏った二人の中年夫婦の姿はもうない。 僕は心に去来する無情とある種の喜びを胸に、トイレのドアを開け、外に出る。 バタン。 僕は切符をいじる癖がある。 切符を買って改札を通る前にはすでに何箇所かに折り目がついている。そして改札を通した後もまた丸めたり折り曲げたりしてしまう。そんな癖だ。 自動改札の解析能力はこんな折り曲げた程度じゃあ問題ないので別に支障はない。すごい技術だなと思うが、しかし折り曲げた程度で認識できないようでは実用化とは言えないのだろう。 ちなみに金沢はまだ自動改札ですらないのでまったく問題はない。ローテク万歳。 いつものように切符をくしゃくしゃになるまで折り曲げる僕。電車に乗っている間中暇をつぶすかのようにくるくると丸めたりする僕。そして目的地の渋谷に着く。すると急にトイレに行きたくなった。 僕はくしゃくしゃになって普段の5分の1程度の大きさに折りたたまれてしまっている切符を胸ポケットへ入れ、トイレへ駆け込んだ。用を足して、手を洗う。 その濡れた手で切符のくしゃくしゃを治した。切符はびしょびしょ。折り目の所々が破れたりもしている。 ・・・・・・これ、大丈夫か? 現代解析能力と認識力の高さを信頼して、僕は切符を自動改札に入れたんですけれど、いや本当、渋谷駅の駅員さん、ごめんなさい。 街で配られているティッシュに当たりをつけたらどうだろう。 広告として配っているティッシュだけれど、あんまりこれを受け取る人はいない。しかもティッシュならまだしも、ただのビラだったら皆無というのが現状だろう。これじゃあ広告として成り立たない。 なので100個に一個の割合くらいでティッシュ内部に1000円札を入れるとかはどうだろうか。 たぶんティッシュでもビラでも受け取ってくれるようになるだろう。これによって宣伝効果アップが期待できる。そして当たりをつけることで太っ腹と思わせ、イメージアップなんかにも繋がるかもしれない。 「該当ティッシュ配りの青年、強盗に襲われる。当選金目当ての犯行か!」 そんな事件が起こる可能性も考えられるので、もしこの当たり付きティッシュを採用する企業さんは、その点を解決するため、ひょろひょろの学生バイトに配らせるのではなく、ハリウッドスターのボディーガードのような、ゴツイ外国人に配らせたらいいと思う。イメージとしては黒人で、スーツ姿の、ガクトのSPのような、そんな人にだ。 怖がって受け取ってしまう人もいるだろうから、一石二鳥、一石三鳥とはまさにこのことだろう。 デニム以下の人間。 履き始めて二年くらい経つジーパンを初めて洗った。洗おう洗おうと思ってはいたんだけれど、色が気に入っていたので洗濯機で洗ったら色落ちするかもなぁという危惧があり、先延ばし先延ばしにしていた。 ちょっと考えて思いついた。浴槽に水をためてそこにジーパンを放り込めばいいじゃないか。当日は天気も良かったので干せるし、やってみた。 浴槽内にジーパンを置く。そして半分くらいまで水を入れ、二時間ばかり放置していた。その二時間の間にカップラーメンを仕入れたり、タバコを買いに行ったり、カップラーメンを食べたりしていた。 そろそろいいかなと風呂の扉を開けると、そこには工業廃水のような漆黒の液体。二年分の僕の汗と、雨と、汚れと、そんなものが全てその水の中に溶け出している。 たぶん汚いだろうなぁとは思っていたがまさかこれほどまでとは。ジーパンだといってもやっぱり普段からこまめに洗っていないとダメだな。汚れという物はどんどん蓄積されていくんだ。気がついたときには取り返しがつかなくなっているほど汚れてしまっているんだな。 ポップコーンスパを書き始めてもう一年以上経過している。 初めは「はは、これくだらないから読んでいる人もおもしろいんじゃね?」という軽い気持ちではじめたのだが、そんなテキストも400以上重ねてくると、そろそろ取り返しがつかないほどの汚点を世間に晒している気がしてきた。自分でも怖くて過去ログを読むことなんてほとんどないけれど、なんかもういろいろどうしようもない。 きれいになったジーパンを眺める僕の視線は、憧れにも似た感情を含んでいる。 横棒でハッタリ作戦。 商品名でフランス語を使っているものは結構ある。僕は日本語ですら危ういのに、ましてやフランス語なんてもちろんさっぱりわからない。 でも高級感が漂うのはわかる。なにがなんだかわからないけれど、未知の魅力を感じてしまうことは事実だ。未知と言うよりは無知というほうが近いような気もするけれど。 例えばイチゴジャムパン。 こちらの辞書で、イチゴジャムパンをフランス語ではどう表記するのかを調べてみたところ 「fraise confiture pain」 となった。なんて読むのかすらわからないけれど迫力はある。あんなに僕らに身近だったイチゴジャムパンが玉の輿にのってシロガネーゼになったような気分だ。 どうやらハッタリとしてのフランス語ははやり結構威力があるみたいだ。ここはいっそポップコーンスパというブログ名もフランス語にして、今こそアンダーグラウンドシーンから一気にメジャー街道をひた走るブログへ進化する時なのかもしれない。 ポップコーンスパのスパはスパゲッティの略なので、さっきも使った辞書でブログ名をフランス語にしてみた。 「Popcorn Spaghetti(ポップコーンスパ)」 ↓(英語からフランス語変換) 『Pop-corn Spaghetti(ポップコーンスパ)』 僕にはハッタリをかます権利すらないのか。 前に友人が話してくれたことだ。 「ずっと日の当たる場所に置いておいたのが悪いのか知らないけれど、ファブリーズなんだけどさ、久しぶりにシュッと吹きかけたんだよ。そうしたら中の液体が腐っていたのかすげぇ臭いんだよ。いやーまいったね」 僕は2年間近く坊主で暮らしている。 長さが1cmくらいの、ちょうどたわしみたいな髪型なので洗髪がすごい楽だ。がざがさと洗ってさっさとふき取ってもう完了だ。 だからシャンプーなんて全然減らない。 500mlくらいのリンスインシャンプーを使っているのだが、たぶん一年以上使っていると思う。頭がたわしなので泡立ちがよく、ほとんど使わなくても泡立ちまくり洗えまくりなので、たぶん大学卒業まで今のシャンプーでいけると思う。 先ほどのファブリーズの件を思い出してみよう。 「ファブリーズ=良い香り」という図式を完全に放棄していた先の例。シャンプーの使用期限なんてわからないけれど、さすがに一年以上使っているので「シャンプー=きれいになる」という先入観は捨てておいた方が賢明であるような気がする。 そして頭を洗う際に毎回手にシャンプーを出して匂いを嗅いでいる僕。 よしたぶん腐っていないなと確認してから頭につける。 僕は目が悪いので、シャンプーの匂いを嗅ごうとして鼻にシャンプーがついてしまって 「あーやっちゃった、てへへ」 というおちゃめな一面をさらけ出すこともあります。 気持ち悪いですね。 麺時々固形物、のち水。 肉食動物の歯は犬歯が発達している。いわゆるキバだ。その鋭さで相手を一気に捕まえて、あとはたいして噛まずにごっくんと飲み込む。もちろん肉を一気に噛み切るあごの力は強い。 草食動物の歯は全体的に臼のように上下とも平べったくなっている。人間の奥歯のような形だ。相手が逃げることはないので一気にとどめをさす犬歯なんて必要がないのだろう。臼状の歯で擂り潰してゆっくりと草や果実を楽しむ。 雑食は肉食と草食の中間の歯をしているらしい。人間は雑種だ。 僕の食生活は偏りがち。 まずメインはうどんかカップラーメン、たまにパスタだ。麺類なのでそれほど噛まずに飲み込むことが多い。 そして僕の栄養補給源の全てあると言える野菜ジュース。これはゴクゴク飲むだけだ。 久しぶりに焼肉を食べる機会があった。安い肉だけれど普段は摂取しない栄養素をとれるなと勢いよく肉をもりもりと食べる。うまい。食べる。うまい。食べる。 あごが疲れた。まだお腹に余裕はあって食べられるけれどあごが疲れてしかたがない。普段全然歯は使わないし、あごも酷使することなんてないからだ。 草食動物とか雑食動物とかじゃなく、動物としての最低限の能力が失われているような気がしてならない、僕の歯とあご。 世界最高権力者はアメリカ大統領であることは間違いない。 あれだけの大国の全ての実権を握っているのだ。ちょっと手を叩けば迎えの車とか出てきそうだし、ボタンをポチっと押せば核ミサイルですら飛ばすこともできるだろう。日々思うことを日記形式でおもしろおかしくブログで公開することだってもちろんできる。 大統領にできないことなんてなにもないのだ。 ご飯でも食べようとコンビニへ行った。 時間は午後六時。起きるのが遅く実質的な朝食だ。もうお腹がすいてすいてしかたがない。弁当がうまそうだなぁと眺めているところでふと気がついた。そういや昨日酒を飲んで財布に金が入っていないんだった。 財布の中には50円玉が一枚と10円が七枚。 きょろきょろとコンビニを見回すもATMがない。近くの郵便局はもちろんもう閉まっている。 家でおにぎりを一つだけもそもそと食べる僕。僕にできることなんてそれだけだ。 キレイにまとめたつもりだったのに。 孟子か荀子のどっちがどっちか忘れたけれど、性善説と性悪説というものがある。生まれたときは良い人で、悪くなる一方なのが性善説。性悪説はその逆だ。 じゃあ生まれたときからボケることが大好きな人はどっちなんだろうか。 ボケることが悪いことだというのならそれは性悪説だろう。理に適わないことを言ったり行動したりしているという点で考えればボケは悪いことだ。 しかしボケることで周りを笑わせ、幸せにすることができるのならそれは善いことなのだと考えることもできる。この理屈なら性善説となる。 ボケて言ったことを相手に本気にされて間違えた知識を与えてしまったとしたらこれは、結果論になるが、悪いことだろう。 しかしボケを相手に披露することで相手がそのボケを吸収し、自分のものにして、コミュニケーションの幅が広がるのならばそれは善いことなのではないかと思う。 いくら考えても答えは出ない。 そしてこのボケをツッコミで置き換えて考えてみても、ボケと全く同じ迷路に迷い込むことになるだろう。 猿から人に進化した上での最も重要な事柄は、二足歩行でも火を使うことでもなく、「他人を笑わせる」という心の余裕を持つことができたことなのではないだろうか。 ちなみにポップコーンスパが善か悪かと聞かれたら、間違いなく「悪」であると答えざるを得ない。 なんたってポップコーンスパを読んだら笑って口が「開く」からね。 ・・・・・・・・・。 昭和54年7月1日にウォークマンが発売された。 僕が日々愛用しているポータブルプレイヤーはウォークマンではないけれど、それまでは家で聞くことが当たり前だった音楽を外に持ち出そうと考えたことはすごいことだし、また実現させてもいる。 また最近ではウォークマンとは逆に、外ですることが当たり前だったことが家に持ち込まれている。 例えばオンラインショッピング。 昔は買い物なんて店に直接行かなくてはできなかった。しかしいつからか電話で物が買えるようになり、今ではその商品の写真を見て、様々なものと比べて、店とはまた一味違った雰囲気でのショッピングがインターネットを介してできるようになっている。 どうやら金持ちへの道はここらへんに隠れているらしい。ウォークマンなんて言わずもがな大ヒット商品でお金ガバガバだし、オンラインショッピングを経営するIT会社だってウハウハしている所は多いだろう。 つまり「今家にあるものを外へ持ち出す」か「今外にあるものを家に持ち込む」かだ。 これらの条件から考えた結果、散髪なんてどうだろう。オンライン美容院。 USBで接続するヘルメットみたいなのをまず買う。そしてそれを被って特定のサイトへ行き髪形を選ぶとヘルメットの中でヴィーンと髪の毛を切ってくれるのだ。 しかし複雑な髪型はできないので、選択肢は 坊主(1ミリ) 坊主(3ミリ) 坊主(6ミリ) 坊主(12ミリ) だけになってしまうだろう。その辺は少し我慢してもらうことにしよう。 つまり最先端技術を駆使したバリカンだと思ってもらえれば間違いはない。 犯罪検挙率はすごい下がると思う。 今の整形技術では少し鼻を高くしたり、しわを取ったりとかはできるけれども、完全に別の顔、それこそルパン三世の変相みたいにまったく違う顔になることはできない。 でももし完全に別の顔になれる整形技術が確立されたと仮定してみる。 多分世のかっこよくない男はこぞってかっこいい男の顔にするだろう。また女性も女性で美人を目指して整形をすると思う。 昔テレビか何かで、いわゆる整っている顔というものは平均だと聞いたことがある。無作為に50人の顔を合成し目の位置や鼻の位置の平均を求め配置するとかっこいい顔がそこにできるというのだ。 ということはつまり、かっこいい顔、美人の顔というものに整形をするということは顔の平均化と言えると思う。俺あのかっこいい俳優の顔に整形しよう、とか、私はあの美人さんにするわと言って皆それぞれが整形すると、結局は全員同じ顔になるということなんじゃないだろうか。 右を向いても左を向いても同じ顔。男も女も同じ顔。 そうなれば「人は外見よりも中身だわ」という意見が増えるだろうから、僕にもチャンスがまわってくるなと考えたまではよかったんだけれど、もっとよく考えてみると「顔なんてどうでもいいから金だ」という意見が増えそうなので、結局僕にチャンスはこない。 |