「どうしたの、真面目な顔して」 「お前さ、まだアキオと付き合ってるのか?」 「・・・うん・・・まぁね」 「でもあんまりうまくいってないんだろ?聞いたよ」 「そっか。最近は全然連絡も取ってないんだ」 「・・・その・・・別れてもらえないかな・・・アキオと。・・・俺・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「俺、本気でアキオのことが好きなんだよ。・・・だから」 新任だった担任の先生を泣かせてしまったことがある。 詳細は覚えていないけれども、たぶん先生の言うことを全く聞かなかったとかそういうきっかけだったと思う。先生が泣いて、教室から出て行ってしまった。確か小学校5年生とかそのくらいの時の出来事だっただろう。 そしてクラスの女子内で巻き起こる「謝りに行きなさいよ」コール。 まぁたしかに僕らが悪かったなぁと、友人と数人で謝りに行った。 だけれど、まだまだ子供だった僕らだ。そんな素直な態度は見せず「クラスでコールが巻き起こったから仕方なく来たんだぜ。本当は悪いなんて思ってないよハハハン」という態度で謝ったような記憶がある。 「・・・さっきはすみませんでした。ごめんなさい」 大学生になった今では、それほど他人に泣かれることもないし、怒られることもなくなってしまっている。 先日大学の研究室で報告書を出した。合格をもらい、その日は帰宅をした。 その報告書を、昨日担当の教授から突っ返されて一言。 「こんな報告書を提出するなんて、何考えてんだ。全然報告書の体裁になっていないだろ、掘り下げも甘い。こんなのじゃあ大学卒業の単位はやれねぇぞ!」 ええー。この前はそれで合格くれたじゃん。全然言ってること違うだろ。畜生、理不尽野郎め。 だけれど、もう大人になっている僕だ。そんな素直な態度は見せず「ああ、僕が悪かったです。本当です、ああ、これじゃあダメですねハハハ」という態度で謝るのだ。 「・・・すみませんでした。直します」 理不尽なことを平然と言ってのけるのが大人になるということなのだと感じた出来事だった。 そして同時に理不尽なことに屈してへこへこ謝れるようになった自分は大人になったなぁと感じた。 3は本気でまずい。 友人がなにを血迷ったか僕に「酒でもおごってやるよ」とか言い出した。恵まれない人に募金する気分にでもなっているのだろう。コンビニで買ったビールだけれども、それを友人宅で飲むことになった。 ただ酒で酔うほど気分のいいことは世の中には存在しないので(悲しい人間)、もうこの酔っ払った勢いで、普段は書けないようなあんなことやこんなことまで、僕の秘密を暴露してしまおうと思う。 秘密1 「僕の壁紙はネットで見つけたエロい画像です」 秘密2 「実はまだ就職決まってません」 秘密3 「しかも大学卒業が怪しくなってきました」 酔いがさめてしまったような気がするのは、多分酔ったための気のせいだと思う。 調子に乗って使うと今度は返せなくなるトラップ付き。 僕は銀行と郵便局に口座があるけれど、銀行は全然使っていなくて、郵便局ばかり使っている。 今日郵便局でお金を下ろそうと思い、財布を見るもカードがない。どうやら失くしたらしい。。確か最後にお金を下ろしたのは先週の金曜日。いつ失くしたのかはわからないけれど、財布には1000円しか入っていない。 手続きやらなんやらで数日はかかる。 タ、タバコが買えない。最近また一日一箱ペースなので、かなりギリギリだ。 しかしタバコに一日300円も使ったら今度はご飯が食べられない。これはまずい。 のどが渇いてもジュースなんてだめだ。今150円の出費は痛い。 ああー、欲しい本があるのに。すごい読みたいのに。 『3日間のマネー計画』 タバコ1箱:300円 欲しい本:600円 食費三日:33円×3日=100円 合計1000円 本はもう耐えられない。買ってしまおう。 この計画を実施か。かなりきつい生活だなあ。 くそー、3000円でもあれば問題なく生活できるんだけどなぁ。 自分「3000円貸してくれ」 友人「カードなくして下ろせない?そりゃ大変だな。俺今一万円札しか持って無いから、これ貸すよ。はい」 カードをなくしたお陰でいつもよりも数段リッチな生活が送れるようになりました。 イメージバトンなんてのが回ってきた。 ayaさんからバトンを渡されたんだけれど、はて、イメージバトンてなんだろう。 そこでバトンを回してもらった記事を見たら、連想ゲームみたいなものらしい。 今までのイメージバトンでは 親孝行→禁煙→するべきこと→勉強→恋人→ナルシスト→鳥肌→好奇心→インターネット→嘘→秘密→アッコ→おまかせ→ヘアスタイル→愛→雨→長靴→水たまり→ぴちょん→枕→夢→ニューヨーク→チーズケーキ→レア→おとな→お酒→梅干→お弁当→早起き→お日様→元気→さわやか という連想が繰り広げられている。 「レア→おとな」とか「ヘアスタイル→愛」という連想の思考が気になったりもするけれど、今回はそういうことじゃないのでパスしよう。 「するべきこと→禁煙」は絶句するしかない。 どうやら僕は「さわやか」からイメージするキーワードについてあれこれ喋くったらいいらしい。 バトンを渡しはしないけれど、質問には答えてみたい。 「さわやか」からイメージする言葉と言えば「松岡修造」だろう。 彼ほど半ズボンが似合う男もなかなかいない。ハキハキと喋り、スポーツもできるしあれだけの笑顔だ。さわやかという言葉を擬人化したら間違いなく松岡その人をおいて他にはいない。 擬人化する必要性もない。 しかし誰もが松岡修造を見て、さわやかだなぁ、と感じるわけではない。 むしろ、暑苦しい、と感じる人の方が多いだろう。 これは注目すべきことだ。 さわやかと暑苦しいとは一見相反する事柄のように思われる。僕の周りで考えてみても、さわやかな人は何人かいるし、暑苦しい人も何人かいる。 だけれど「さわやかなのに暑苦しい人」なんて一人もいない。 「暑苦し過ぎてむしろもう清々しい」人ならいるけれども。 相反する事柄を共有する、矛盾を抱えつつも存在を肯定する、唯一無二の存在である松岡修造。 「さわやかさ」というプラス要素を「暑苦しさ」というマイナス要素で包み込む松岡修造。 「表面だけの人間なんてダメだよ。秘められた内側で勝負しなきゃね」 彼がそう告げる声が僕の耳には届いている気がする。そうか、そうだよな。 がんばれ、松岡修造。 すげぇよ、松岡修造。 僕は人生という濃霧の中で、羅針盤として松岡修造を見続けようと心に誓った。 Q バトンをまわしてきた人に一言 A こんな内容でごめんなさい そろそろ半そでじゃあ肌寒くなってきた。 500円で買ったアロハシャツも300円で買ったロックTシャツも仕舞って、長袖を出さなくてはいけない。夏はもう完全に過ぎ去ってしまったのだ。 でもいつまでも過ぎ去ったことに捕らわれていても進歩は無い。たとえ好きじゃないとしても、今の秋を精一杯楽しもうと思う。 秋といえば、そう、食欲の秋だ。 栗ごはんは大好きだし、さんまがとても美味しい季節でもある。 焼いたさんまを食べながら飲むビールなんて、考えただけでもよだれが出てくる。 いやー、秋もなかなかやるじゃない。 そんなことを考えながら食べるインスタントラーメンの味といったら、そりゃあもう、ええ。 手品も魔法も英語ではマジックだ。 アメリカ人は日本人のように手品のタネなんてどうでもよくて、純粋にその不思議さを楽しむのだと聞いたことがある。だからこそ手品でも魔法でも「どっちも不思議なんだから単語二つもいらないじゃん。マジックでいいじゃん」となっているのだろう。 ということは「手品師の女性」は魔女になるんだけれど、日本人の誇るテンコーさんはイリュージョニストなので魔女ではない。狩られる心配がなくてよかったと思う。 でも英語にはトリックという単語もある。 意味は「手品、奇術」であると同時に「ごまかし」というものもある。 もしかしたら英語圏の手品にはカースト制度のようなランクがあるのだろうか。 ギリギリ人が入れる大きさの箱に人が入って、剣をザクザク刺し、でも平気な顔して出てきた。 そんな時に観客はこう言うのだ。 「おおブラボー。マジックだ。魔法だ。すげー」 5枚のトランプを用意する。客は一枚のカードを選ぶ。マジシャンはそのカードを見てもいないのに当てた。 そんな時に観客はこう言うのだ。 「まあそこそこすごいけど、魔法とまではいかないな。トリックだな。しょせんごまかしだろ?」 もし僕がマジシャンで、お客さんにそんなことを言われたら立ち直れないと思う。これでも苦労してるんだから、魔法って言ってよ・・・と涙をこらえるのに必死でもう手品どころじゃない。 ただでさえしょぼい手品がどんどんしょぼくなっていく、そんなマジシャン。 日本はしょぼかろうが凄かろうが「手品」という単語しかないので、とてもよいと思います。 毎夜のパトロールなんてよっぱらいの相手やケンカの始末がほとんどだ。新任の警察官だからといてドラマみたいにそうそう事件が起きるわけじゃあない。 いつものように夜、ビル群の中をパトロールしていると、一人の若い女性が、角をこちらがわに曲がり、走ってくる。 「た、助けてください。変な中年の男に追われてます!」 女性は走りながらなおも僕に叫び続ける。 「じゅ、銃を持っているみたいで、た、助けてください!」 「わ、わかった。君はこのまま逃げて。その男は僕が取り押さえる」 警察官になって始めての大仕事だ。もちろん怖いけれど、そんなことは言っていられない。 そう考えていると、さっき女性が曲がってきた角から、人影が飛び出してきた。 僕は無我夢中でその男に銃を向けて叫ぶ。 「止まれ!銃を置け!止まらなければ撃つぞ!」 「バカヤロウ!走って逃げてる女は連続強盗で指名手配中の女だ!」 僕は自分の上司に銃を突きつけながら、がっくりとその場にうなだれた。 食事中の方は見るのをお控えくださいというか、なんかもう最悪なテキストですよ。 「愛すること」と「愛されること」のどちらの方が幸せなのかという問いがある。 これに付随するような問いを耳にするたびに僕は 「愛すること」が楽しい幸せであり 「愛されること」がうれしい幸せ なんじゃないかなぁと思ってしまう。 微妙に幸せのベクトルが違うんだから、これはどっちが上?なんて質問には答えようがないと思う。 先述の問いと似たようなものに 「カレー味のうんこ」と「うんこ味のカレー」を食べるならどっち? というものがある。まったく似ていないという苦情は僕以外の誰かにお願いします。 少し考えると、たとえうんこ味だとしても後者はカレーなんだから、どっちを食べるかと聞かれれば「うんこ味のカレー」かな、と答えてしまうかもしれない。 ここで考える。 「カレー味のうんこ」はうんこという問題点を抱えている。 「うんこ味のカレー」はうんこ味という問題点を抱えている。 お互いがそれぞれ問題点を抱えているのは共通だけれど、問題点のベクトルは違う。 前者は存在自体が問題であるし、後者は存在に問題は無いがその地点に至った(うんこ味になった)結果に問題がある。 この二つを同じ軸において論じるのは無理があるんじゃないかと思う。 つまり二つを同じベクトル上に無理矢理持ってくるなら、問いはこうでなくてはおかしいのだ! 「カレーにうんこをかけたもの」と「うんこにカレーをかけたもの」を食べるならどっち? このテキストの中でうんこという単語を12回も使いました。新記録だと思います。 昨日友人から借りた。 ここ最近は大学のゼミが忙しくて、ブログに書くような話がまったくない。 朝に大学に行き、夕方に帰ってくる。こんなに忙しいのは久しぶりなので疲れてしまってもう夜になにもする気が起きない。そんな同じような毎日を過ごしている。 だからたまにはこの更新も休んじゃってもいいんじゃないかなぁ、なんて思ったりしている。 いや、ちょっと考えてくださいよ。僕は大学4年なんですよ。世界で一番暇で遊びまくれる最後の時期と言っても過言じゃないと思うんですよ。 「それが今の大学教育の問題点であり、改善すべき体質であって・・・」 そんなの知らない。 友達はみんな遊びまくってんのに、何で僕だけ大学に縛られているんだ。 あ、遊ばせてくれー。忙しすぎるぜー。 なんたって今日はドラクエ8を7時間しかやってないんですよー。 あと5時間くらいはやらせてくれー。 本当に忙しくて休む暇も無い方々に、心より土下座申し上げます。 プラスアルファという言葉を聞くことがある。 もう一つ要素があることを「+α」というのだけれど、元々はプラスエックス「+X」だということを聞いたことがある。筆記体で書かれたXをαと見間違えたらしい。 αの左端部分をちょっと消してもらえばその気持ちもわかっていただけると思う。 勘違いした人はすごく恥ずかしかったと思う。 「ほら、外国ではね、こういうもう一要素あることを・・・ええと、+αって言うんだよ」 「へー、そうなんだ」 「ホラ、この英語で書かれた紙、見てみてよ。書いてあるだろ、+αって」 「・・・(おいこれ、αじゃなくて筆記体のXじゃねぇかよ)」 「どう、僕って物知りだろう・・・・・・(あれ、これαじゃなくてXじゃねぇ?)」 「ああ、そうだね(うーん、ここで間違いを指摘したらこいつとの関係が悪くなるかな)」 「はは、そうだろ(やべぇ、間違えた。でもこいつ気付いてないみたいだし、このままいっちまえ)」 「・・・・・・でもなんで突然αってギリシャ語が出てくるんだろう(気付け、気付け!)」 「(やべぇ、そんなの知らねぇよ)・・・ええと、ほら、英語って元々ギリシャ語から来てるし・・・」 「(ホントかよ)へえ、物知りだね」 「(やった、騙せた)英語圏の人も、ほら、日本人が意味もわからずフランス語を使いたがるみたいに、ギリシャ語を使ってみたかったんだよ。かっこいいからってさ」 「・・・ギリシャ語ってかっこいいもんね」 「・・・だよね」 勘違いに気付いてもそれを押し通すひねくれたポジティブさは僕も見習っていきたい。 というよりは阿鼻叫喚。 僕の家で友人と集まり、三人の密やかな飲み会が行なわれた。全員男で、それぞれに恋人いない自慢や、誰の将来が一番不安かという勝負をしたりしていた。ビールを2本程度飲み、飲み会の空気が和んできた頃、僕ら三人は悪魔を目撃した。 タバコのヤニで黄ばみ始めた僕の部屋の白い壁にへばりつく悪魔。 別名「ゴキブリ」だ。 前回バルサンでゴキブリ抹殺計画を行なってからまだ1ヶ月も経っていない。 今回の相手はやたらとでかく、太っていて、僕の部屋で見かけていなければそれはカブトムシのメスなんじゃないかと思うくらいだ。 一気にボルテージが上がる僕ら。 酒が入っているので気持ち悪さよりも小さな非日常に興奮している。 友人の一人が僕の部屋にあったジャンプを手に持ち、壁のゴキブリに飛び掛る。 ゴキブリは間一髪でかわし、部屋の中央部まで飛んでくる。 そのまま部屋の中を縦横無尽に飛び回るゴキ。逃げ惑う僕ら。 そして見失ってしまう。テレビの裏あたりに行ったまではわかったんだけれど、僕の家は物がとても多いので、ゴキブリの隠れるところが多いのだ。 5分くらい探したけれど見つからない。 仕方がないので飲みなおすことにした。 どこかにゴキブリが潜んでいる飲み会。一切の油断を許さない緊張感漂う飲み会だ。酒の味なんてさっぱりわからない。ガンガンにかけていた音楽も消し、みんな小さな物音も聞き逃すまいと耳を澄ます、そんな飲み会。 その後、姿を現したそのマヌケなデカイゴキブリは無事、退治した。 ヤツが姿を現した瞬間の僕らの盛り上がりっぷりはすごかった。なんせ上に住んでいる人から後から苦情がきたくらいなのだから。 ということで「家での酒に新しい刺激がほしいな」とか「彼氏との生活がマンネリだわ」と感じる人がいるならば、ゴキブリを部屋の壁に放ったらいいと思う。 盛り上がること間違い無しだ。 「君は真実の愛か莫大なお金か、どちらか一つをもらえるとしたらどうする?」 「どうしたの突然」 「君は愛を大切にするのか、それともお金か?なんとなく聞いてみたくてね」 「うーん・・・・・・私はどちらもいらないわ」 「そりゃまたどうして?」 「真実の愛を「もらえる」ってことは、そんなの相手の一方的なアプローチなだけで私は楽しくもなんともないし、莫大なお金をもらったって、お金目当てのくだらない男が寄ってくるだけで、私にはうざったいだけだからね。私は結構今の自分が好きなの」 「絶対にだめだよ、私なんかじゃさ」 「そんなことないって。アキトのヤツもお前のこと結構気にしてるみたいだし」 「・・・ナツオって優しいね」 「バカなこと言ってないで、これから二人で会うんだろ。好きだって言えよ」 「あ、もしもし、ナツオ?アキトにフラれちゃったよ」 「・・・そっか」 「あー、もういい!飲もうよ、これからさ!」 「いいよいいよ飲もうぜ。気分変えていこう」 「ありがとう、せっかく色々相談乗ってもらったのに」 「ほらまたそんなこと言う。気分変えようぜ。一時間後にいつもの店でな」 「うん、それじゃあ一時間後」 ピッ ピッ、ピッ、ピッ、プルルルルル 「うん、俺だけど」 「あ、アキト、今のところ予定通り」 「それにしてもお前、結構めんどくさいこと考えるな。一気にいけばいいのに」 「それじゃあダメなんだって。ナツオこそめんどくさい性格してるんだからさ。あんたもわかってるでしょ。浮気なんてよっぽどのことがないとしない性格なんだから。ナツオが私の恋愛相談に乗る、であんたが私をフって、落ち込んでる私がナツオに慰めてもらう、そこで優しいナツオに私の心が傾いてナツオも私に傾く。これでナツオを縛ってるあの女から彼を奪い取れる。どう、完璧な作戦だと思わない?」 運転免許の更新が近づいてきた。 免許を取ってから二回しか運転していないのに僕ももう世間から見ればベテランドライバーになりそうだ。累計運転時間30分のベテラン。説得力はない。 でも僕みたいなペーパードライバーや予備軍なんて沢山居ると思う。僕と同じで学生の内に取っておこうと免許だけは取り結局運転しないままの人や、仕事は電車通勤なので運転は日曜日だけになっている人だって、僕よりは運転しているだろうけれど、毎日乗っている人に比べたら下手くそだし、サンデードライバーの事故は多いと聞いたこともある。 うーん、僕だって車さえあれば運転をするんだけどな。 車がないといって他人の保険の利かない車に乗るのは危ないし、どうしたものかな。 人の言葉には表向きと本音が同時に存在している。 たとえば会社やどうしようもないつきあいで酒を飲んだとする。その別れ際に全然心にも無いけれど「また飲みましょう」ということを言う。この場合の表向きは「また飲みたいですね」であり、本音は「礼儀で言ってるんだよ。実際に誘ってくるなよコノヤロー」だ。 また「プレゼントは気持ちだけで良いから」という言葉もなかなか怪しい。本音は「本当に気持ちだけだったらコブラツイストの刑な。高いの買ってこい、高いの」と内心は思っていることが多い。 ところで免許を持っている人ならわかると思うけれど、免許の更新というのは「誕生日から前後一ヶ月以内」と決まっている。そして僕は「免許の更新が近づいている」し「車を持っていない」と思ってもいる。 あーあ、免許の更新が近づいてきたなぁ。 あーあ、車、持っていたら運転するだろうなぁ。 今回のテキストを読んで、もしなにか僕に用事があれば、特に約一ヵ月後に用事があれば、ここのコメント欄にご記入ください。 お待ちしております。 ある日深刻な顔をした友人が僕に告げる。 「ちょっと相談があるんだけど。彼氏のことで」 ほほう、恋愛反面教師こと僕に相談を持ちかけるとはなかなかの眼力を持っている。仕方がない、多忙な中だけれど大切な友人の相談なんだ、聞いてあげよう。 そして僕は読み返していた漫画本を閉じ、タバコに火をつける。 恋愛の相談なんて大抵一緒だ。彼氏に女がいるんじゃないか、私のことを本当に好きなのかどうか、彼氏の文句を言うだけの相談という名の愚痴。そんなところだろう。 彼女とその彼氏とは僕はどちらとも友人関係にある。 会える時間が少ないことを嘆くことはあるけれど、それを改まって相談するということはないだろう。会っているときには二人でとても楽しそうなので、僕に相談することとは一体なんなんだろう。 やはり彼氏の浮気問題だろうか。 それなら男の友人としても黙ってはいられない。彼女を裏切ってどうして他の女に手を出したんだと僕からも問い詰めてやろう。 もしかしたら彼女側が他に好きな人でもできたのかもしれない。 どちらにしてもヘビーな相談である可能性が高そうだ。 僕は煙を大きく吸い込み、そして言葉と一緒に吐き出した。 「で、僕に相談って、何?」 「あのさ・・・私の彼氏ってさ、ホントかっこいいよね。見るたびに大好き過ぎて困ってるんだけど」 僕は無言のまま読みかけだった漫画本を開き、タバコを灰皿で揉み消した。 サンダルを封印した。 僕は春でも夏でも秋でも冬でもサンダル履きで出歩く元気一杯の青年だった。いえ、決して靴が買えなかったわけじゃあないです。・・・なんです、その疑いの目は? しかしそんなことを繰り返していたので、足の発汗能力が異常発達したのか、足ばっかり汗を掻くことになったし、冬になっても足だけは布団から出していないと暑くて寝られなくなってしまった。冷え性の真逆といえる。 冬ですら暑いんだから夏なんて足だけビニール袋に入れた水にでも漬けながらじゃないと寝られないんじゃないかというくらいだし、エアコンガンガンにしても足だけは暑い。 もしどこかで足だけ妙に血色の良い凍死体が発見されたらたぶんそれは僕か、僕以外のサンダラーだろう。 こんな足だけ亜熱帯気候なんてもういやだ! ということでサンダルを封印したまでは良かったんですが、それまでほとんど靴なんて履いていなかったので靴下というものがさっぱり見当たらず四苦八苦するし、靴下履いて10分くらいでもう汗だらだらの靴下ぐっしょりという最悪の状態になりました。 しかし3週間くらい続けていたらそれも改善されてきた。信じられないことにちょっとコンビニまでサンダルを履いて家を出たら「うーん、足がちょっと寒いというか寂しいな」と感じるまでになった。すげぇ、すげぇよ俺の足。 これからもなにか動きがあり次第、僕の足レポートをここに掲載していこうと思う。 これだけ続きが気にならないレポートもなかなかない。 バラエティ番組の中で「アナウンサー系美女」という紹介をされている女性が居た。 癒し系美女とかアイドル系美人とかそういうくくりならまだわかるけれども、アナウンサー系美女ってどういう雰囲気なんだとテレビ画面を見てみると、そこに写っているアナウンサーの女性。 ただ単に美人なアナウンサーというだけだった。 アナウンサー系美女って。 この辞書によれば 『系:ある関係のもとにつながった統一体。体系』 とあるので、アナウンサー系美女はアナウンサーに所属している美女ということなんだろうけれども、それでもなにか釈然としないものは残る。 そもそも美人アナウンサーでいいだろう。 じゃあ 美人アナウンサー → アナウンサー系美人 となるんだったら、例えば 美人テニスプレイヤー → テニスプレイヤー系美人 とかになるんだろうか。 もっと守備範囲を広げるならば 天才ギタリスト → ギタリスト系天才 とか、人間じゃなくなってもいいだろうから 味噌ラーメン → ラーメン系味噌 とかだって全然おかしくない。 ハワイをワイハ、スシをシースーと呼ぶ、いわゆる業界用語は新たな局面をむかえ、「系」を用いたものに変化しているのかもしれない。 「いやー今日知り合った女の子さ、会社員系美人でさ。一緒に評判のラーメン屋系美味いところにいったんだけど、そこではずんじゃった系話がさ。アドレス系メールを交換系お互いしたんだけど、もう結構良い感じになってきたんだよね。デート系日曜日系次のなんだけど、行っちゃったりしてね系ホテル系ラブ系もしかしたら。困る系男系モテるね」 これで僕もなれる系モテモテに系明日からと思う。 オフ会というものがある。 僕はオフ会というか、ネットで知り合った人に個人的に二人で会ったことはある。だけどその人が本当に「僕がネットで知り合った人」という補償なんてどこにもなかった。 たとえ事前に写真を示されていたとしても、電話で話していたとしても、その顔なり声なりが「ネットで知り合った人」本人である補償もどこにもない。 例えばオフ会を計画し、5人が集まったとする。 そのオフ会に集まった5人が全員全然知らない他人ということだってあり得るのだ。 A「はじめまして、Bさんですか?(たしかこの顔はBさんだと本当のAに教えてもらったな)」 B「こちらこそはじめまして、Aさんですよね?(黒い帽子はBだったな、たしか)」 C「遅れてすみません、俺がCっス(Cって名前だったよな、俺の設定は)」 D「どうも、私達がDとEです」 E「はじめまして、全員そろってますね(ええと私の名前がEってことになってて、優子がDで、あとの三人が確かAとBとCだったっけな)」 B「いやー、DさんとEさんはあの毒舌からは想像もできない美人二人組みですね(そう聞いたけどな、間違ってないよな)」 D「やだなーBさん。お酒が入ると私毒舌全開ですよ(あれ、私って毒舌キャラだったの、D子は全然そんなこと言ってなかったのに)」 C「じゃあさっそく居酒屋でも行きますか(まったく知らないやつらとなんて酒でもなくちゃ喋れないぜ、ちっ)」 そんなオフ会。 それはそれでなんだかおもしろいような気がしてきたので、あえて「他人を本人だと偽って集まるオフ会」というのをやってみたらどうだろうか。 ぐだぐだになることをシュールな笑いと捉えることができる懐の大きな人なら、ぜひ一度やってみたらいいと思う。 僕は本を読むことが多いのでしおりは結構持っている。 同時に何冊も並列して読む癖が僕にはあって、それがしおりを数多く使う理由なのだが、しおりなんて大抵本についてくる。ついてこなくたって本の上部に紐がついていてしおりとして使うことができるようになっている。 しおりの価値を値段に直したってせいぜい2円くらいなんじゃないだろうか。 先日電車に乗った。 僕は持っていた文庫本を開き、少し読むと、しおりを挟んで本を閉じた。外の風景を見たり、周りにいる人をじろじろと見たりして時間を過ごす。天気がいいなぁとかあのおっさんは何の仕事をしているんだろうとか考えながら隣に座る若いサラリーマン風の男を見ると、ハードカバーの本を熱心に読んでいるところだった。 なんの本を読んでいるんだろうと彼の本をじろじろと見ていると、マナーモードにしている彼の携帯電話が鳴ったのかポケットに手を入れる。メールが来たらしい。返信をするために彼は本にしおりを挟み閉じる。 そのしおりが一万円札。 ゆ、諭吉さんじゃないですか!お久しぶりです!まさかこんなところでお目にかかるとは。 しおりがなくて間に合わせのために一万円を挟んでいるだけだ。それはわかる。 もちろんしおりにしたからってその一万円を失うわけじゃあない。それもわかる。 でもそこはほら、メモ帳の切れ端にでもしておこうよ・・・。 社会に貢献し、自分で生活設計を立て、お金を稼いでいる社会人。 適当にふらふらし、親の金と昔稼いだバイト代を食いつぶしながら過ごす大学生。 負けじと僕もお金をしおりにしてやろうと財布の中を覗いた時に野口英世しかいないときのあの敗北感といったら・・・。 文房具は英語でstationery。 鉛筆やボールペンや定規やノートなどを買う機会はそれほど多くはないにしても、僕だってたまにはある。先日街を出歩いているときにボールペンを買わなくてはならなくなり、近くに文房具店があることに気付き店の前まで行った。 そこの扉に書かれている「アーティストマテリアル」の文字。 文房具=アーティストマテリアル。直訳すれば芸術家の材料だ。 心臓の鼓動が愛しのあの娘に聞こえてしまうんじゃないかというほどのドキドキを胸に扉を開く。中はもちろんただの文房具店。様々な色のペンや、色々な形の定規が並べられていたりするごく普通の文房具店だ。 黒いボールペンを手に取る。値段は100円。 しかしこれはただのペンではない。なんたってアーティストマテリアルなのだから。 100円玉と引き替えに受け取ったこの黒いボールペン自身は感じているのかもしれない。 「アーティストマテリアルて。俺なんてまぁただのボールペンですから」と。 僕の家の近くにある店のドア。 自動ドアではなく自分で開けるドアなのだが、その外側には「押」と書いてある。押せばドアが開くんだなということがわかりやすくていいと思う。 ドアを開けて店に入り、用事を済ませて出ようとするとドアに書いてある「押」の文字。 外側には「押」 内側にも「押」 結局押そうが引こうが開くドア。 ああ、このドアは押さないと開かないんだと考えていた自分に愕然とする。それと同時に沸き起こる怒り。なんだよ、押さなくてもいいんじゃないか。 だったら「押」じゃなくて「お好みで」とか「自由」とか書いてくれよ。それなら僕だって今日は押して入りたい気分だな、とか、今日はちょっとつらいことがあったから引いてみようかな、とかバリエーションを出せるのに。 僕の表現の自由を奪わないでくれ! 「自由」と書いてあるなら、たまには押しも引きもせずに横にスライドさせてみたりして「開かないじゃないか、どこが自由なんだ!」とかいう怒りも表現できてとても便利だと思う。 これのどこら辺を便利と感じるのかは個人の受け取り方次第だ。 健康にとてもいいらしいのでカレーを作った。 じゃがいもと人参とたまねぎとなすと肉とトマトを買ってきて、鍋に沸かしたお湯にぶち込んで、ルーを放り込んだら、はい完成。 文章にするとたったこれだけだけれど、けっこう手間がかかった。作ってくれる人もいないので自分でじゃがいもの皮をむき、自分で人参を切って、自分でたまねぎをみじん切りにする。 僕がカレーを作りながら泣いていたのは、本当にたまねぎのせいだけなのだろうか・・・。 僕の心の片隅でいつも小さくうずくまっている料理心の手を取って、トマトの湯むきなんかもやってみた。肉も結構入れた。うーん、本格的だなぁ。市販のルーだけど。 普段からのカップラーメン生活では得られない、野菜の栄養価が溶け出したおいしくて健康にもいいカレーの完成だ。 台風のためか、フェーン現象とでもいうのか、妙に暑い一日があった。 僕がカレーを作ったのはその前日で、作って、一皿分だけ食べて、残りはゆっくり食べていこうと楽しみにしていた。カレーは一回作ってしまえば温めるだけで食べられるし、栄養もあるし、お金もそれ以上はかからないしでもう最高だ。 いろいろと用事が重なって24時間帰れなかった。 よし、やっと家に帰ってこれた。カレーでも食べちゃうぞー。 その間の暑い気候をモロにくらって表面がカビているカレーが目の前にある。 お金をかけて、手間をかけて、夢を描いて、そしてその夢を自らの手で捨てた。 僕はカップラーメンの蓋を開け、お湯を注ぐ。 「大切なものってさ、失くしてみて初めてわかるんだな・・・」 「どうしたんだよ急に」 「それを今・・・すごく実感してるんだ。・・・アキナ・・・・・・」 「・・・アキナちゃんと別れたのか?もしかして・・・死ん・・・」 「アキナと付き合いだしてからさ、一人の自由ってのがどれだけ大切だったかに・・・気付いたんだ」 勝ち負けだけで考えるのは寂しい。 東大を出て一流企業に就職すれば勝ち組。 いい年齢になっても結婚しない女性を負け犬。 そんな考え方は好きにはなれない。この考え方でいくと僕なんて完全に負け犬だから悔しくて言っているわけではない。まぁそれは少しはありますけれども。まぁ少しじゃなくて結構ありますけれども。 勝つとか負けるとか、そんなのくだらない。 結果はもちろん大事だけれど、過程だって大切だ。必死にもがいてもがいて結果失敗だったとしても、過程は無駄にはならない。 もっとみんな、過程を大切にしようよ。家庭も大切にしようよ(ダジャレ) 結果だけに捕らわれるのはもうやめにしよう。 結果しか評価しないなんて、なんて視野の狭い人間なんだ。 そうだろ。確かに結果は負けかもしれない。でもがんばったんだよ。心から楽しませてくれたじゃないか。相手のスキを縫っての毒霧。レフェリーを踏み台にしたシャイニングウィザード。無重力なんじゃないかと錯覚してしまうほどのフラッシングエルボー。最高だったじゃないか。 勝ち負けなんてどうでもいいだろ! 過程を楽しめよ! 途中からは「あれって格闘技じゃなくてただのショーだろ?ハハハ」とプロレスをバカにしている友人へ向けた個人的なメッセージです。 ソムリエはすごい。 ワインを一口含んで「うん、これは1890年のフランスのボンジュール地方のワインですね。この年の葡萄は酸味が強い中でも甘みがしっかりと腰をすえているのでなんたらかんたら」と述べているシーンをテレビなどで見ることがある。 ホントかあれ?カンペでもあるんじゃないか? 僕は味オンチな上にタバコを吸って味覚を殺しているので、あんなことはカンペがなければ絶対にできない。カンペがあっても読み間違える可能性も高いのでそれすら危うい。ビールか発泡酒かを当てるのが精一杯だろう。 絶対音感はその能力が高すぎると辛いというのをドラマ「古畑任三郎」で言っていた。 雨の音でも、どこからか聞こえてくる雑音でも、すべて音符で聞こえてしまってノイズに耐えられないらしい。本当かどうかはわからないけれども、まぁそういうこともあるのかなと納得してしまう。 ソムリエでこういうことはないのだろうか。 「おい、なんだこれ。酸味と甘みのバランスがおかしいのにしかも塩分をどかどか加えやがって。食えたもんじゃねぇぜ」 とか 「1本200円のワインなんて添加物の味しかしないぜベイベー」 とかそういうことにはならないのだろうか。 絶対音感の例で考えるとこういう事態になってもおかしくはなさそうだ。 そういう人は僕みたいにカップラーメンにコロッケと生卵をぶち込んだものなんておいしいとは感じないだろうし、たいして味の無いもやし炒めばっかり食べるのだってムリそうだ。 つまり僕の今の食生活は、僕が味オンチだから成り立っているということになる。 ああ、ソムリエじゃなくてよかった。 ああ、味オンチでよかった。 物心がついてから動物園に行ったことが無い。 小さいころに行ったことがあるらしいのだが全然覚えていない。たぶんゴリラもライオンも見たことがあるのだろうけれども覚えてないのでとても見てみたい。 一番見たいのはやはり象だ。パオーンと鳴いてくれなくてもいいからあの大きな体でのそのそ歩いている姿に憧れる。 僕の友人にゴリラみたいなヤツがいるけれどもそれはゴリラじゃない。彼じゃあ満足できない。 僕の友人にはいつも鼻の下ばかり伸ばしているヤツがいるけれども彼は象じゃない。そもそも象は鼻が長いのであって鼻の下は全然長くない。 そんな姿を見かねてある友人が僕に告げる。 「近くに小さいけれども動物園があるみたいだよ。車出してやるから言ってみるか」 彼に惚れそうになる僕の気持ちは隠しつつ、男二人を乗せた車は一路動物園へ。 これでゴリラもライオンも象も俺のものだー! 鹿と猿と孔雀しかいないのを動物園と呼んで良いのかどうかは司法の判断に委ねてみようと思います。 夏の終わりはいつも切ない。 過ぎ去る夏。 過ぎ去るビール。 消え去る水着。 厚くなっていく女性の服。 失われていく女性の露出度。 閉鎖的になっていく女性の開放感。 夏が終わるというのは、なんと寂しいことであるのか。 ああ、夏が一生続けばいいのに。春も秋も冬もいらないから夏ばっかりになればいいのに。 そんな風に嘆き悲しみ暗闇の中に没していた僕に、友人が光を投げかけてくれる。 「俺はコート姿の女性もかなり魅力的だと思う。太陽の俺が君を脱がせてやるぜってさ」 す、すげー。なんて前向きな男なんだ。 僕は安易な夏にすがっていただけだった。そうさ、彼の存在は僕にいつも力をくれるんだ! い、一生僕の友達でいてくれー。 僕の大学生活最後の夏はそんなやり取りをしながら過ぎ去っていきます。 コンビニ弁当をレンジでチンした後の温かいサラダも結構好きだったりする僕。 日本人の半分以上が認めていないにも関わらず常にそこに居座り続ける酢豚のパイナップルも好きだし、世界中が廃絶弾圧しているタバコだって僕は吸う。 でも日本がサッカーのワールドカップに出ようが出まいが僕は全く興味がないし、オリコンのランキングもさっぱりどうでもいい。 つまり僕は完全にマイノリティ、少数派だ。 しかも少数派だから好きというひねくれている精神の持ち主というわけではなく、自分の好きなものがたまたま少数派というなんとも寂しい結果に涙する毎日というわけだ。自分の感性を疑う。 別に自分が好きならそれでいいだろという考えはもちろんある。 でも僕の好きなものは大抵世間では嫌われているというのもなんだかしっくり来ない。みんなも良く吟味してみればあの良さがわかるのにと、やりきれない思いが募っていく。 好きだったマイナーなバンドが売れてしまい、そのバンドが嫌いになった友人がいる。 「音楽性が変わった」だとか「商業主義に傾倒してしまった」とかいろいろ言っているが、たぶん「自分だけが知っていた隠れ家的存在がバレた」のがイヤなのだろう。この気持ちをわかる人は多いのではないだろうか。自分だけの何かを他人に奪われてしまうのはたしかに悔しいかもしれない。 そうか。もし僕の好きな少数派の様々なものが多数派に変わってしまったら、僕はそれらが嫌いになってしまうかもしれない。世間に受け入れられたからうれしいという気持ちよりも、隠れ家をなくしてしまった寂しさの方が強くなってしまうかもしれない。 そうさ。僕は今のままでいいんだ。たとえマイノリティだとしてもそれが僕なんだから。 大切なのは、自分を貫き、自身を持つことなんだ! いつまで経っても人気が出ないブログ管理人の言い訳としてはなかなか良い出来だと思う。 ハリウッドのアクション映画は大抵ストーリーが一緒だ。 主人公がいて、ヒロインと出会う。 なぜかヒロインが悪の組織(悪の組織って実際にはあんまり見る機会はないよな)にさらわれる。もしくは悪の組織と偶然関わり合いになる。 主人公が銃器を駆使して人をドカドカ殺してるわりには自分はかすり傷でもビビりつつ、ヒロインを助けるか組織を壊滅させる。 ヒロインとキスなんかしちゃったりして良い感じになる。 エンド。 これに適当に肉付けすれば、もう完璧なハリウッドアクション映画だ。 脚本を適当に使いまわしてたって僕は気付かない自身がある。 ストーリーが一緒日本代表といえば水戸黄門だろう。 じいさんとガードマン二人といつもお風呂で襲われるしずかちゃん的女忍者が旅をする。 ある土地に着くと悪い役人がいる。 すぐに印籠を見せればいいものを「目には目を」というハムラビ法典的紀元前な考えのもと、悪人をボコボコに懲らしめた後、じいさんの含み笑いと共に出される印籠。 「ほら、俺は偉いんだぜ。ひれ伏せ、中途半端な役人が!」 「ヒイイイィィィィ」 そして解決。 僕がもし悪い役人なら、アレだけの悪事をした後なんだからもう死刑確定だろうと開き直ってじいさんを襲ったりすると思うんだけれども、そんな展開は僕が見た水戸黄門の中では一度たりともない。 実は水戸黄門の脚本は3種類しか無いんですよと言われたって僕は驚かない。 ここから考えるに、長く人気を保っている作品、人気を得やすい作品の内容は大筋では変わっていないということになる。アンパンマンで考えてもドラえもんで考えてもそれは証明されているだろう。 ということで僕もこの「内容の素」とでも言うべきシステムを導入しようと思う。その「内容の素」に毎日適当に肉付けして更新するのだ。 これで僕の人気もうなぎのぼりでしかも安定だ! こんな「内容の素」はどうだろう。 1:突然話を始める(ハリウッド映画とか水戸黄門とか) 2:そこから話を勝手に飛躍させる(システムをパクれば人気がでるぜとかいう妄言) 3:どうもいいオチ 図らずも普段から僕のテキストはこの123だけだ。くだらない話とどうでもいいオチ。 人気のシステムを使ってこの程度の人気しかないポップコーンスパの恐ろしさにひれ伏したらいいと思う。 同情はいらない。それなら金をくれ。ヒロインのキスか忍者の入浴シーンでも我慢しよう。 |